No.0261
とうせんぼう
とうせん坊
高ヒット
放送回:0163-A  放送日:1978年12月09日(昭和53年12月09日)
演出:小林治  文芸:沖島勲  美術:亀崎経史  作画:須田裕美子
写真あり / 岩手県 ) 219766hit
あらすじ

昔、一本足の高下駄を履き、松明を持ったとうせん坊という大男が村を暴れ回っていた。

彼が物心付いた時すでに両親は無く、北上川上流の小さな寺に預けられていたが、大柄で頭が足りなかったので和尚や坊さんや子供達に「うすのろ」「でくの坊」等と苛められて育った。そんな連中を見返してやりたいと思ったとうせん坊は、観音堂にこもって祈り続けた。満願の日、観音様が差し出した手まりを食べた彼は百人力を授かった。

早速村の奉納相撲に参加したが、気付いた時には有り余る怪力で対戦相手を次々と殴り殺してしまっていた。今度は「人殺し」と罵られ、彼は山に一人引きこもった。しかし村の若者達が住処を見つけ、彼の留守中に仕返しとばかりに鍋に糞をして帰っていった。帰宅後これを知った時から、とうせん坊は暴れ者と化した。村に来ては家に火を付け、家畜を絞め殺し、村の花見の時も大人子供関係無く、怪力で殴り殺して回った。

やがて彼は村を出て、越前の「東尋坊」と言う岬に来た。ここの眺めが気に入った彼は、そこで宴会をしている優しそうな村人達に酒を勧められた。久方ぶりに人の優しさに触れた彼は酒に酔い、夢の中で母親の子守唄を聞いていた。

しかし気付いた時彼は縄で縛られ、村人達に担ぎ上げられ崖へと運ばれていく所だった。彼の涙も「おっかあ・・・」と言う呟きも、みんな彼ごと崖下に消えていった。この事があってから東尋坊で吹く強風は「とうせん坊」と呼ばれ、恐れられる様になった。とうせん坊の怨念は、今も海上で吹き荒れている。

(投稿者:綺羅津、引用/まんが日本昔ばなし大辞典)


ナレーション市原悦子
出典瀬川拓男(角川書店刊)より
出典詳細乱世に生きる(日本の民話08),瀬川拓男,角川書店,1973年2年10日,原題「とうせん坊」,伝承地「岩手県」
現地・関連お話に関する現地関連情報はこちら
場所について東尋坊
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地図:東尋坊
追加情報
本の情報サラ文庫まんが日本昔ばなし第29巻-第144話(発刊日:1979年4月28日)
サラ文庫の絵本より絵本巻頭の解説には地名の明記はない
このお話の評価8.9259 8.93 (投票数 54) ⇒投票する
※掲載情報は 2011/2/11 22:30 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
10件表示 (全60件)
ゲスト  投稿日時 2015/3/23 9:22
自分は、東尋坊ととうせん坊は違うものと思ってます。
東尋坊は地元の僧ですが、とうせん坊は花巻地方から
やってきたと伝えられます。また、花見の際に、いたずらでたくさんの死人がでたために、花巻から逃げ出した
と言う人もいます。一体真実や如何に。
もみじ  投稿日時 2013/3/7 23:38
ゲストさんの載せられた元のお話のURLを見に行ったら
なるほど(・ω・)と感心しました。
確かにお話が違いますね。
まぁ、どちらにしても救いはありませんけど(´・ω・`)、


簡単に言うと、
「東尋坊」は本当はしっかりと修行をした高僧で、
東尋坊という宿舎に住んでいたのでそう呼ばれるようになりました。

ところが、近くには横暴な振る舞いをする悪僧たちがたくさんいました。
東尋坊は、「僧として民の手本となるような姿をとるように」と常に彼らを諌め諭しました。
しかし、「正論」を説く東尋坊に、ぶっちゃけ、悪僧達はキレていました。
東尋坊を邪魔に思った悪僧達は策略をたて、改心したと見せかけて東尋坊を呼び出しました。
そして宴席をもうけて酒を飲ませたうえで、崖から突き落とし殺してしまいました。



ということだそうです(・ω・;)なんてこと…

もしかしたら、彼を殺した悪僧たちが死人に口なしと言わんばかりに
東尋坊は悪僧だったと広めてしまったのかもしれませんね。

恐ろしい話です(´Д`;)


ゲスト  投稿日時 2013/3/7 21:24
↓元の話はこんな感じらしいですよ どっちもむごい;;
http://ameblo.jp/kaoruangels/entry-11031968582.html
もみじ  投稿日時 2013/2/24 12:15
東尋坊の写真を撮ったときは、すごくたくさんの人が来てました。

悲しいかな、自殺の名所とも言われるわりには、人多いなぁ…と思ってましたが
夜間だったり、観光でいける場所とは
また少し離れた場所での投身自殺が多いそうです(´・ω・`)、

崖は貴重な景勝を守るため、あえて柵を設けてないので
写真には崖のすぐそばまで行っている人が写っています。
それくらい間近までいけるので、誤って落ちてしまわないように
ちゃんとした靴で行くことを勧められていました。

ちなみに私はヒールのある靴で行っていたので、落ちたら嫌なのと
チキンなので間際までは行きませんでした。(´∀`;)だって怖いし

とうせん坊のお話は可哀想でもあるし、人の心の闇が見えるようで嫌ですよね。
「誰が悪かったのか、何が悪かったのか」を考えさせるためのお話なのでしょうかね…。

ギブソンギター  投稿日時 2013/2/23 22:33
「とうせん坊」もうかれこれ動画で10回ぐらい見てしまったかな?
ある意味人間のエゴ向き出しの犠牲者を浮き彫りにした悲しいアウトローの御話しですよね。彼が観音様から頂いた力は結局何だったのか?
恨みを材料に無差別殺人を繰り返していた事は何だったのか?
村人達に対する批判も大きいが、とうせん坊自身ももっと冷静な感情になるべき必要があったと思います。
でも、イジメは良く無いですよ!
結局は何もいい事は生みませんから!
ゲスト  投稿日時 2013/2/17 20:48
切ない……
のりくん  投稿日時 2012/7/25 22:01
アニメ「とうせん坊」が放映される一年前の1977年に草土文化社から絵本「とおせんぼう」が出版されていますね。
文は水谷章三、絵は金野新一。
実際に読んでみましたが、
この絵本に出てくるとおせんぼうは優しい感じで一貫しています。

金野新一さんは忍者武芸帳影丸伝の白土三平先生にも影響を与えたみたいです。
石の客  投稿日時 2012/3/5 7:17
暗く恐ろしい話だが、当方の印象は暗いというよりは「強烈」。

大願成就したものの殺人鬼と成り果てた主人公のささくれだった作画の描線、いまでも鮮明に覚えている「バシュッ!」「グシャッ!」と殺戮シーンで流れる効果音、そしてリアルな血しぶき等々、よくぞ子ども向け番組で放映できたと現在では思われる、描写の「強烈さ」である。

その一方で、主人公の酔夢にて、亡き母が幼き日の主人公に子守唄を聞かせる抒情的なシーンもはっきり記憶している。ラストの悲劇を際立たせるためのエピソードではあろうが、思い起こすと今でも泣けてくる。当番組上屈指の名シーンかも。

最後に現実に起こった「とうせん坊」の話をひとつ。当話が放映された1978年12月の翌月大阪で起きた銀行立てこもり事件の犯人。彼の凄まじく不幸な生い立ちは、とうせん坊と同様。そして、映画や色々な書物で記されているが、自分の母親に対する犯人の愛着はひとかたならぬものがあったよう。事件は犯人の射殺で幕となるが、いまわの際にあった彼の脳裏にも母の面影がよぎったのだろうか。
ゲスト  投稿日時 2012/1/1 22:09
生涯でただの一回見ただけのはずなのに、物凄く記憶してる。

悲しい話なんだけど、演出が神がかっていて、無茶苦茶怖かった。
怪談話の回で使われるBGMがこれでもかと掛かりまくり、狂ったとうせん坊の目がトラウマになるぐらいの異様さ。

これ以来、何を見ても怖くない。
マニアック  投稿日時 2011/11/10 21:27
番組史上、稀にみる最恐怖話。ランキング1位になるかも。
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