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No.0176
じぞうさんのことば
地蔵さんのことば

放送回:0109-B  放送日:1977年11月12日(昭和52年11月12日)
演出:藤本四郎  文芸:沖島勲  美術:青木稔  作画:高橋信也
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あらすじ

昔ある村に、平吉(へいきち)というバクチ好きな男がいました。

ある日、バクチですっからかんになってしまい、困った平吉は「もう二度と博打はしないから助けてください」と、お地蔵さんにお願いしました。するとお地蔵さんが「ならば今夜、しょたんという商家の墓を掘ってみろ。金でも衣装でも何でも手に入る」とお告げになりました。

それを聞いた平吉は、墓をあばいて棺桶を開けてみると、中には娘の死体が入っていただけで他には何にも入っていませんでした。怒った平吉が棺桶をひっくり返すと、娘の死体が転がり出て、その勢いでのどに詰まっていた餅がコロリと取れました。

息を吹き返した娘は、命の恩人である平吉のことが好きになり、両親に平吉との結婚を許してもらうようにお願いしました。もともと娘にはいいなずけがいたので、父親は「平吉が大阪へ出て、商売で一旗あげたら結婚を許す」と条件を出しました。

さっそく大阪に出向いた平吉は、無事に商売を大成功させましたが、大好きなバクチに手を出してしまいました。全財産をすっかりなくしてしまった平吉は大阪から帰って来ず、両親も平吉の事はあきらめるようにと娘を促しました。

娘は仕方なくいいなずけと結婚する事になりました。嫁入り当日、娘がカゴに乗ってしょたんの家を出発すると、カゴを担いでいた一人が「バクチ打ちが~墓場の前から、地蔵が前さね~」と変な唄を歌い始めました。この唄を聞いた娘は、カゴ担ぎの男が平吉が変装しているのだと気が付きました。

そして急きょ婚礼を取りやめ、平吉にこっそりお金を渡し、もう一度大阪へ送り出しました。平吉もこんどこそバクチをせず、商売も無事に成功させて帰ってきました。平吉と娘はめでたく結婚をして、その後も末永く幸せに暮らしました。

(紅子 2012-10-24 21:07)


ナレーション市原悦子
出典下野敏見(未来社刊)より
出典詳細屋久島の民話 第一集(日本の民話37),下野敏見,未来社,1964年07月31日,原題「地蔵さんの言葉」,採録地「屋久町尾之間」,話者「岩川イワ」
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※掲載情報は 2012/10/24 21:07 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
3件表示 (全3件)
Perenna  投稿日時 2020/3/15 23:15
未来社の「屋久島の民話」を読んでみました。
このアニメのもとになった「地蔵さんの言葉」の話者は岩川イワさんという方です。
岩川さんの語ったほかの民話も読んでみたのですが、屋久島固有の昔話というよりは、全国的によく見られる普遍的な話をあちこち改変したり、つけ加えているような印象を受けました。
編者の下野敏見氏のはしがきによれば、岩川さんは幼いころ、父親からいろいろな民話を聞かされたと書かれています。
「尾之間は屋久島町役場のある人口千人の静かな町です。近くにモッチョム岳がそそり立っています。この町に、日高ミヨ、岩川イワの老姉妹がおられます。ミヨさんが十一、イワさんが六つのとき母が死んだ。それから父はこの可哀想な姉妹に、毎晩、夕餉のいろりのそばで、あるいは寝物語りに昔話を語ってきかせたそうです。」
この「しょたん」という屋号をいろいろと調べてみたのですが、これはひょっとしたら「塩谷」(しおたに)という地名や名字のなまりなのではないでしょうか?
富山県魚津市で話されている魚津弁では、「谷」(たに)を「たん」と言うそうです。
屋久島で「谷」が「たん」と発音されているのかどうかは、まだ確認ができていませんが、仮説として「しおたに」→「しょたに」→「しょたん」というように変化したのかもしれません。
岩川さんのお住いの近くにあるモッチョム岳に「塩谷」と呼ばれる地名があるのか、それともお父さまの友人や知り合いに「塩谷」さんがいたのでしょうか?
どちらにしても、江戸時代の大阪の富豪の名前ではなさそうに思えます。
また、「バクチうちが、ア、墓場の前から、地蔵が前さね、地蔵が前から、しょたんが門口、は、よいやさのさっさっ」という変な民謡についても、なかなか気になるところです。
これからも「しょたん」の屋号の謎について、いろいろと調べてみようと思っています。
Perenna  投稿日時 2018/11/23 22:01
「しょたん」という屋号は方言だとしても、なんだか日本語らしくなくて、ずいぶんと奇妙な名前だとつくづく思います。
屋久島についてネットで調べてみたのですが、このお話の採録地である「屋久町尾之間」は、江戸時代にイタリアからやってきたシドッチという宣教師の上陸地の近くらしいですね。
ジョバンニ・バチスタ・シドッチは、1708年10月に屋久島の小島恋泊の南、唐の浦(浦崎)に上陸しました。
なんとなく、このシドッチの「ジョバンニ」という名前から「しょたん」という屋号が導き出されたのではないでしょうか?
また、主人公が「バクチ打ち」というのも、ひょっとしたら「バチスタ」の訛りから連想されたのかもしれません。


beniko  投稿日時 2012/10/25 22:03
このお話は鹿児島といっても「屋久島」のお話です。屋久島の「しょたん」という商家の事をネットで調べてみたんですが、情報が見つかりませんでした。
出典元である未来社の民話の本も読んだんですが、商家の名前はひらがなで「しょたん」と書いてありました。意味もわかりません、誰かご存知の方がいましたらこの商家の事を教えてください。
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