No.1432
おにのつめ
鬼のつめ
高ヒット
放送回:0914-B  放送日:1993年12月18日(平成05年12月18日)
演出:小林治  文芸:沖島勲  美術:千葉秀雄  作画:大森幸夫
写真あり / 栃木県 ) 34255hit
あらすじ

昔、物凄い嫌われ者の悪徳婆さんがいた。この婆さんは、村人から穀物を買い取るときは大きなマスで量り、物を売るときは小さなマスで量って売っていた。

そんな婆さんが、とうとう死んでしまった。それで、お寺の和尚さんが婆さんの葬式を担当することになったが、葬式の前夜、和尚さんの寺に赤鬼と青鬼がやってきた。

どうやら鬼達は地獄から来たらしく、婆さんは地獄行きが決まったから余計な手出しはするな、と和尚に警告する。しかし、和尚は断固拒否する。

葬式当日、お棺を運んで歩いていると、突然強い風が吹いて和尚の経文がさらわれる。すると黒雲が現れ、そこから鬼の手が出て来て婆さんの棺桶を持っていこうとする。和尚は必死で棺桶にしがみつき、婆さんを取り戻そうとるする。

村人は「あんな強欲婆さんだからかまわない」と思ったが、和尚が「死人に罪はない」と説き伏せ、村人に経文を大きな声で読むように言う。村人は和尚の言う通りお経を読むと、鬼はそれにまいって棺桶を置いていく。その棺桶には鬼の爪がささったままだった。

どうにか無事だった棺桶の中には、安らかな死に顔の婆さんがいて、村人はどんな人間も死ねばみな同じだと痛感した。

(引用/まんが日本昔ばなし大辞典)


ナレーション市原悦子
出典栃木県
DVD情報DVD-BOX第7集(DVD第35巻)
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場所について円通寺
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地図:円通寺
追加情報
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※掲載情報は 2011/2/11 22:30 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
9件表示 (全19件)
マルコ  投稿日時 2013/3/26 17:21
このお話に登場する強欲おばあみたいな人にはなりたくないですねぇ・・・。

このお話を見て思ったのですが、このおばあは正真正銘の「有財餓鬼」ですよね。
まんが日本昔ばなしでも時々登場する餓鬼とは?一体なんなのでしょうか?

「餓鬼」というのは、本来の意味としては、人間がこの世で行った「むさぼり」行為の報いとして、飢えや渇きの満ちた世界に落ちた者を言います。
餓鬼にも「無財餓鬼」と「有財餓鬼」という二つの種類があるそうです。
「無財餓鬼」の意味は皆さんもだいたいわかると思いますが、「有財餓鬼」とは?

飢えに苦しむ餓鬼の中で、物を食することのできる餓鬼。膿(うみ)・血などを食う小財餓鬼と、人の食い残しや、祭祀(さいし)などで捨てられた物を食う多財餓鬼とをいう。

もうひとつの意味は、物やお金がたくさんあるのにも関わらず、欲の皮をつっぱって、もっともっとお金が欲しいと、苦心している人のことを言うのだそうです。つまりは、守銭奴の人。

「九升坊」「くっついた欲の皮」「よくばり和尚」は「鬼の爪」と同じようなテーマのお話ですね。人生とお金・・・切っても切り離せない事柄について、利己心、欲望があまりに強すぎるとどうなってしまうのか?これらのお話を見て色々と考えさせられますね・・・。
マルコ  投稿日時 2013/2/2 15:46
「鬼のつめ」の円通寺は紅葉の名所だそうで、マルコに親切にしてくださったハンサムなおじいさまが「下野新聞でうちのお寺の紅葉が取り上げられたんだよ~。」って自慢げに話していました。マルコがこのお寺を訪ねた時、紅葉が終わってしまった後でしたが、それでも、境内に落ちていた紅葉がまるで燃えているかのように赤くて綺麗だったので、紅葉シーズンの時はもっと綺麗だったと思います。
マルコがお寺の境内を散策していると、遠くの方で汽車の汽笛の音が聞こえてきて、なんとも言えない趣を感じました。遠くの方で鳴っている汽笛が聞こえるほど、静かなんです。
聞こえてくるのは、風のささやきと鳥の声、時より遠くの方で汽笛の音が聞こえる・・・みたいな感じでした。

真岡の街には今でも蒸気機関車が走っているのです!!
詳細を書き込みしておきます!!

<芳賀観光協会のホームページより>

SL通年運行が日本一の真岡鐵道は、日本で最初のローカル線として明治45年に誕生した鉄道です。大迫力のSLは乗って風景を楽しんだり、走っている姿を撮影したり楽しみかたは自由自在。どちらも季節によって表情がかわるし、SLフェスタなどイベントもいっぱいたがら何回乗っても飽きませんよ。駅のかたちもとってもおもしろいんです。

真岡鐵道はSLだけではなく景観を良く見て頂くために大きな一枚ガラスを使用したり、バリアフリーになっております。
安心安全な運行のために日々のメンテナンスなど徹底的な管理に力をいれております。
真岡鐵道で快適な旅をお楽しみ下さい。

SL独特の蒸気機関の音を聞きながら、見えてくる真岡、茂木ののどかでどこかなつかしい風景は他では味わえないワクワクする体験です。
春にはサクラや菜の花、秋には紅葉をみながら、そして冬にはハロウィン運行、クリスマス運行などのイベントがあります。いろんな風景をバックにSLが走る姿を撮影するのも楽しい。あなただけの撮影スポットを探してみては?

なんともおもしろい駅舎。SLをデザインした外観ですね。
内部はコンピュータを自由に利用しインターネット体験が出来る情報センターになっています。

ここでしか手に入らない様々なグッズ。DVDやC11325の模型もファックスで購入できます。

みどりの中をのんびり走りながら、今日の冒険の計画を練ろう。
ツインリンクもてぎで大自然の昆虫や鳥、2足歩行ロボット「ASIMO」がみんなといっしょに楽しさ発見!!帰りは「SLもおか」で貴重なSLの蒸気や汽笛の迫力を間近で体験できます。

芳賀路の夏の風物詩、SL夜行列車が花火をバックに今年も運行します。
夜に運行する「SLもおか」に乗れるのは1年の中でこの日だけ!!

SL列車に真岡鐵道の「寅さん」(映画『男はつらいよ』:「車寅次郎」のそっくりさん)が乗車しSLの正しい乗り方を伝授してくれます。

〒321-4306 栃木県真岡市台町 2474-1 真岡鐵道株式会社 
電話:0285-84-2911(代) FAX :0285-84-2913
マルコ  投稿日時 2012/12/19 23:20
『鬼の爪』
応永の昔、砂ヶ原の里(栃木県芳賀郡二宮町)に横足久左ヱ門という者が住んでおりました。強欲で人一倍馬力があるので、村人は誰一人として相手にしませんでした。

やがて不治の病にかかり亡くなった久左ヱ門を村人は「いくら悪人でも死んでしまえば仏様だべ。身寄りもないかわいそうな人間だからお墓に葬ってやっぺ。」と、その亡骸を菩提寺に葬ることになりました。時の宗光寺の住職頼真僧正は、慈悲深く、観音様の化身といわれるほどの高僧でした。

野辺送りの途中の出来事でした。ちょうど堀込村と太田村との境にある橋のところにさしかかろうとした時です。不思議なことに、今まで雲一つ無かった晴天が突如一天にわかにかき曇り、篠突くような雨が降り出し、雷音が轟き稲妻が光りました。

誰かが「あ!」と叫んだ一瞬、黒雲の隙間からものすごい形相の赤白二匹の鬼が飛び出し、久左ヱ門の亡骸を奪おうとしました。頼真僧正は、すぐに真言を称え、右手に持っていた独鈷で赤白の鬼を叩き落としました。赤鬼はその独鈷を食い切ろうとしましたが、僧正の法力には勝てず爪を落として退散してしまいました。葬列は無事に橋を渡り、宗光寺の墓地に埋葬されました。

この橋は「咎の橋」(とがのはし)と名付けられ横足久左ヱ門の名は平成の世まで鬼の爪と共に語り伝えられており、食いちぎられた独鈷と「鬼の爪」は、宗光寺の秘宝箱に現存しています。


マルコ  投稿日時 2012/12/19 23:16
「宗光寺の鬼のつめ伝説」
宗光寺は、天海大僧正が住職をしていたこともある格式の高いです。昔、砂ヶ原に久左ェ門という大悪人が住んでいましたが、悪運尽きてとうとう死んでしまいました。そこで、村人たちは宗光寺に葬ってやることにしました。ところが、その葬式の途中の事であります。晴れていた空が急に暗くなり、赤白二匹の鬼が現れて左ェ門の死体を奪おうとしました。これを見た宗光寺の住職・頼真僧正は、真言を唱えつつ独鈷を持って鬼を突き落としました。宗光寺にある『鬼のつめ』はその時のものだそうです。

「宗光寺の歴史」
嘉祥元年(808年)慈覚大師により開かれ、伏見天皇より 「新御堂山円頓止観院宗光寺」(しんみどうさんえんどんしかんいんそうこうじ)の勅額を賜っている別格本山の格式をもつ名刹です。長沼宗政公が主君源頼朝公の本願により鎌倉大御堂を模した新御堂を当地に建立しました。

のちに長沼宗光公が長沼氏の菩提寺として宗光寺を中興し比叡山より盛海僧正を迎えています。大正年間、当寺は下妻城主の多賀谷氏により堂塔が破壊される法難に遇い、久下田の地に移りましたそして水谷蟠龍の外護のもと新宗光寺として出直すこととなります。時の住職亮弁僧正は、長沼の地に宗光寺の復興を試みましたが、力およびませんでした。

慶長8年(1603)宗光寺20世の住職となった天海大僧正の尽力によって、当寺は旧地長沼に再興されました。そして僧正寺の格式をもつ談林(学問所)として多くの名僧を世に出し、また末寺308ケ寺をもち、天台宗においてその地位はゆるぎないものとなります。

明治の大火により焼失した伽藍は、近年再建立され、別格本山にふさわしいものとなりました

「鬼のつめ」のお話の候補地の一つである『海潮寺』について・・・。
海潮寺の創建は永正7年(1510)天英祥貞が開山したと伝えられています。当初は大田和村吹上にありましたが大永年代(1521~27)に現在地に移し寺名を宝珠院から海潮寺に改名しています。中世、真岡を中心に周辺を支配していた芳賀氏代々の菩提寺として庇護されていましが、主家である宇都宮氏が突然改易(御家騒動説や石高不正説などがある。)、芳賀氏も連座し所領没収となりました(芳賀氏は山形県にある出羽三山の出羽神社を頼り離散したそうです。)。海潮寺は庇護者を失い一時衰退しますが、江戸時代に入ると幕府から庇護され慶安元年(1646)三代将軍徳川家光から20石の朱印状を受け取っています。境内にある山門は文化3年(1806)に建立された古建築物で三間三戸の八脚楼門、入母屋、大谷石瓦葺で、特に大谷石の瓦で葺かれた屋根は類例が少なく貴重な存在として栃木県指定重要文化財に指定されています

 ・ 海潮寺山門(楼門) - 文化3年 - 栃木県指定重要文化財
 ・ 海潮寺御霊屋 - 文化年間 - 真岡市指定有形文化財
 ・ 芳賀禅可入道高名像 - 室町時代 - 真岡市指定有形文化財
 ・ 竹垣君徳政碑 - 江戸時代 - 真岡市指定有形文化財


まあ・・・どのお寺も真岡では格式のある、名高いお寺さんのようですね・・・。
『鬼のつめ』伝説は『円通寺』だけではなくて『宗光寺』や『海潮寺』にも伝わっているって事だけでも覚えておいてください!!
ゲスト  投稿日時 2012/12/19 22:47
普通、坊さんならもうお経完全に覚えてて空で読経できるもんだと-思うけど・・・?。
火車の話かなぁ・・・お経を読んで貰うほど、死者の方のトクになるんすね、たぶん・・・?やっぱりばあさんの最後は気になりますね。地獄直行を避けただけ-ですからね、結局のところは・・・??
マルコ  投稿日時 2012/12/16 14:49
今回、マルコは『しもつけの伝説』から『鬼のつめ』の舞台は真岡の『円通寺』だという情報を仕入れてきたので、『円通寺』に行ってきました!!
(所在地〒321-4106栃木県芳賀郡益子町大沢1770 )

<円通寺の歴史>
円通寺は、大沢山虎渓院と号する、浄土宗名越派の寺院です。
1394年(応永元年)良栄上人が芳賀郡大平郷舟橋(現益子町大平)に、一宇を結んで虎渓院と号したのが始まりとの事です。良栄上人は、1347年(貞和3年)に磐城国磐前郡小川村(福島県いわき市)に生まれ、鎌倉名越の善導寺で名越派四祖の聖観に師事し、奥州関東諸国を伝道の後に下野に至ったものである。

虎渓院は舟橋談所とも呼ばれ、創建当時から学問所の性格も持っていました。
多くの門人や学徒が集まりました。
その後、良栄上人は、大沢の領主大沢八左衛門尉の帰依を受け、
山林等の寄進を受けたため、現在地に伽藍を建設して移転しました。
良栄上人は、ここで門人や学徒に講義を行うとともに多くの書物を著しました。
円通寺境内に文庫(図書館)を設け、「大沢文庫」と呼ばれました。

1541年(天文10年)火災によって、表門を除いて焼失しましたが、
10代目の住職良迦上人が再建し、中興の祖と呼ばれています。
円通寺は隆盛を極め、1574年(天正2年)正親町天皇から綸旨を受け、
勅願寺(天皇のための祈願を行う寺)となりました。
その後、寺は明和年間と1872年(明治5年)に火災に遭いますが、
表門と一切経塔は焼失を免れて今に至っています。

【表門と一切経塔の概要】
表門は、1402年(応永9年)頃に建立されたと推定されていて、
国の重要文化財に指定されています。
唐様の四脚門で、切妻造り屋根は茅葺でしたが、現在は銅板葺き、主柱と控柱は丸柱になっています。装飾の手法は室町時代の特徴をよく表しています。

華美な装飾が無くって、質素で落ち着いた門でしたよ。

一切経塔は、1816年(文化6年)に再建されたもので、
3間四方の重層、屋根は頂部に露盤と宝珠をのせた宝形造りです。
下層の屋根の反りと上層との釣り合いが良く、
下層には火灯窓を上層には丸窓を設けています。
下層は主に和様、上層は唐様にした建物で、江戸時代後期の変化に富んだ建築です。

この建物も華美な装飾が無く、質素で美しい建物でした。

このお寺には、昔ばなしで語られていた物があるそうです・・・。
強欲婆さんの御棺に残されていたという血のついた鬼の生つめ「鬼のつめ」と強欲婆さんの葬式のシーンで黒雲の中から雷が御棺の上に落ちたじゃないですか?
その時、和尚さんの着ていた着物の袖のところがだいぶ焼け焦げたそうで・・・その着物が『円通寺』にある『あけず箱』の中に納められていて今現在も残っているそうです・・・。

・・・御棺を運んでいた村人も雷でやられたんじゃないですか?だってアニメのシーンを見ると、御棺と和尚さんとの距離がだいぶ離れているのに、着物が焼け焦げたのですから。

この『あけずの箱』はその名の通り『あけずの箱』で、今まで『円通寺』に長く伝わっているそうですが、まったく開けた事が無いそうです。円通寺本堂の左に宝物庫があって
その中に入っているようです。
話を聞かせて頂いた、ハンサムで優しくって声の良く通るお寺のおじい様によると「今まで長い事、お寺に居るけど、『あけずの箱』を開けたことはない」と話していました。
(80歳ぐらいのおじい様だったので・・・ずいぶん長い間、箱を開けた事が無いんだなぁ・・・と思いました。たぶん、このお方はこのお寺の元・御住職様ではないかと思いました。)
マルコビッチ  投稿日時 2012/2/21 14:03
「角川書店」の「日本の伝説44・栃木の伝説」によると・・・。
(鬼怒沼の機織姫のおはなしが載っていた)
強欲おばあを助けた住職さんのお寺は
真岡にある円通寺と言うお寺みたいです・・・。
マルコビッチ  投稿日時 2011/10/21 15:52
「昔、栃木県の真岡に金貸しと米屋を営んでいるえらく強欲なおばあがおったそうな・・・。」って市原さんが最初に言っていたのが私の印象に残っているお話です・・・。
このおばあさんの家には売り桝、買い桝という二種類の桝があってこれらを使って私腹を肥やしていたそうです・・・。
村人がそのことに気がついて文句をいうと、「こんちくしょう!!ババアと思って馬鹿にしやがって!!」と恥も外聞もなく口から怒鳴り散らす始末でした。
というところまでは何とか覚えています・・・。
この話に登場するお坊さんのお寺の候補がいくつもあって・・・
『海潮寺』『長沼の宗光寺』『大沢の円通寺』というお寺にも同じような話が伝わっているそうです・・・。
マニアック  投稿日時 2011/10/19 20:40
常連キャラのやせ男が、お坊さん役で最初で、最後の主役。
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