No.1408
おにばばのなこうど
鬼婆の仲人

放送回:0895-A  放送日:1993年07月10日(平成05年07月10日)
演出:白梅進  文芸:沖島勲  美術:門屋達郎  作画:白梅進
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あらすじ

むかし、越後の国の与板(よいた)に、早くに両親を亡くした貧しい若者がおった。若者はぶっきらぼうで人付き合いが悪かったが、働き者で、年寄りにはたいそう優しく親切じゃった。

二十四節季のある一日、この辺りでは人喰いの『弥三郎婆』が出ると言われ、村人達は仕事を休むのが習わしじゃった。じゃが、若者はこの日も一人田んぼへ出かけ、稲を刈っておった。

やがて日が暮れる頃、薄気味の悪い風が吹き始めた。若者がふと顔を上げると、痩せさばらえ、ぼろぼろの着物を着て、恐ろしい弥三郎婆が立っておった。若者はしばらく、冷たい田んぼに裸足で立つ弥三郎婆を見つめていたが、一足しかない自分の草履を弥三郎婆に投げ渡した。

「一足しかないのに何でわしにくれるんじゃ?」と弥三郎婆が不思議そうに尋ねると、若者は「年寄は大事にして当り前じゃ。それにわしを食いたければ食え。死ねばおとうやおかあに会えるから、死ぬのは怖くないんじゃ。」と言うた。

弥三郎婆が草履を履くと、足元から若者の優しさが伝わってきて、体中がポカポカと温まった。弥三郎婆は大きく笑い「お前が気に入った、嫁を連れてきてやるから楽しみに待っておれ。」と言って、雷を呼び雲に乗って去っていった。

その夜、戸板をたたく音に、若者が戸を開けると、弥三郎婆が気を失った若い娘を抱えて立っておった。若者は驚いたが、弥三郎婆は先ほどの草履を返し、「もう死のうなどと考えるなよ!」と叫びながら、娘を残して去っていった。

こうして若者と娘は一緒に暮らし始めた。最初は泣いてばかりいた娘も、やがて若者の心根の優しさにだんだんと心を許し、二人は仲良く働くようになった。この娘、もともとは大阪の大商人の娘で、やがて二人は大阪屋という小さな酒屋を開いた。これが大繁盛して、しまいには与板の殿様一万石、大坂屋は二万石と盆踊り歌に歌われるほどの大商家になったという。

(投稿者: ニャコディ 投稿日時 2012-6-15 22:48 )


ナレーション市原悦子
出典新潟の昔ばなし(三丘社刊)より
出典詳細里の語りべ聞き書き 第11巻,川内彩友美,三丘社,1992年06月10日,原題「大阪屋の嫁」
場所について長岡市与板町本与板(地図は適当)
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地図:長岡市与板町本与板(地図は適当)
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※掲載情報は 2012/6/16 0:27 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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マルコ  投稿日時 2014/3/6 13:21
このお話に登場する弥三郎婆は秋の終わりを告げる二十四節気のひとつの日に現れるということになっていました。

アニメの絵を見ると、田んぼの稲刈りをしている季節で、稲木干しが行われていました。しかも、田んぼには霜が降り、土がぬかるんでいる。

そこで、マルコは二十四節気って何かを調べてみました。

「日本の十二節気・七十二候」 
根本/浩
高校教師。新聞連載やテレビ「世界一受けたい授業」に講師として出演するなど、多方面で活躍中

の本を見てみると、

秋分 末候 10月3日~7日ごろに「水初めて涸る」つまり、田んぼの水を抜いて乾かし、稲刈りの準備をする。

それを考えると、秋分~霜降までの秋の間に弥三郎婆は現れるのではないかということです。

ハッキリしたことはわかりませんが。

秋分 末候 10月3日~7日ごろ

寒露 10月8日~22日ごろ
    初候 雁来る 10月8日~12日ごろ。次候 菊花開く10月13日~17日ごろ。末候 きりぎりす戸にあり10月18日~22日ごろ。

霜降10月3日~11月6日ごろ
初候 霜はじめて降る 10月23日~27日ごろ。次候 時雨時施す10月28日~11月1日ごろ。末候 楓蔦黄なり 11月2日~6日
ごろ。
マルコ  投稿日時 2013/1/1 19:08
昔、西蒲原郡分水町中島に弥三郎という猟師が住んでいて弥三郎婆はその猟師の母だったそうな・・・。弥三郎は実直で親孝行な男だったそうですが、弥三郎婆は性格が悪く残虐な行為が多く、彼女は近くに葬式があるという話を聞くと「やんれありがてぇや、また人間をごっつおになれるか」と言って喜んだそうです・・・。いやはや何とも恐ろしいお婆さんですねぇ。

弥三郎婆は自分の息子に今までの悪事がばれて、弥彦山に住み着いたそうです。
その後、宝光院の住職典海阿闍梨というお坊さんのさとしで今までの悪事を悔い、妙多羅天女という神様になったということです。
弥彦神社のすぐ近くにある真言宗宝光院の本堂に弥三郎婆である妙多羅天女像が今も安置されているそうです。
このお寺の本堂の裏に「婆杉」という大きな杉の木があって、弥三郎婆が持ってきた死体を掛けて置いたそうです・・・・。怖いなぁ・・・。鬼婆が天女になってしまうとは・・・仏様の力はすごいですねぇ・・・。
ニャコディ  投稿日時 2012/7/1 22:29
のりくんさん、紅子さん、調べていただいてありがとうございました。

「大坂屋」と「大阪屋」かぁ……。
ごめんなさい、あらすじを書いた時点では全然気にしてなかったです。
それにしても二万石の豪商とは凄いですねぇ。
もしかして現代まで店が続いたりしているのでしょうか?

このお話には弥三郎婆(この人も良い人なのか悪い人なのか、いまいち良く分からない……)も登場しますし、詳しく調べると面白いかもですね。


beniko  投稿日時 2012/7/1 21:01 | 最終変更
では出典元情報もあわせて追記。※今日、たまたま読んでみましたので、せっかくだから書いておきます。

出典元である、里の語りべ聞き書き 第11集(三丘社)では、原題「大阪屋の嫁」となっていました。話者は多分「山本ハツ(新潟県)」さんです。その中でも「与板の殿様一万石、酒の大阪屋は二万石」と盆踊りの歌にうたわれるほどの大金持ちになった。と明記がありました。
のりくん  投稿日時 2012/7/1 10:44 | 最終変更
長岡市にメールで問い合わせてみました。

先日長岡市情報政策課にご照会いただきました「まんが日本昔ばなし 鬼婆の仲人」についての照会について回答をします。

「鬼婆の仲人」については、与板の民話として「与板町史」に掲載されている「大坂屋の嫁」を題材に作られたものではないかと思います。民話の中でも「与板の殿様一万石、大坂屋は二万石」と盆踊り唄に歌われるほどの・・・という記述があります。

お問い合わせの盆踊り唄について、地元の民謡団体の方などに照会をしてみましたが、現在、盆踊りや地元の祭りの際に「与板の殿様一万石、大坂屋二万石」という歌詞がある曲はわからないということでした。

与板町史に記述されている「大坂屋の嫁」は、昭和46年に出版された「近世越後風土記」から略記されたもので、ひょっとしたら昔にはそのような盆踊り唄があったのかもしれません。
なお、長岡市与板地域には前述した本を収蔵している図書館がありませんので、こちらにお出での際に資料等を調べられるとしたら、市内の長岡市立中央図書館へお立ち寄りください。「与板町史」「近世越後風土記」等をご覧になることができます。

「鬼婆の仲人」に出てくる「おおさかや」は「大阪屋」という漢字を使っていますが、与板町史の中では「大坂屋」という名称で出ています。民話に出ている「大坂屋」は江戸時代に活躍の越後屈指の豪商といわれた「大坂屋」ではないかと思われます。現在のお菓子の大阪屋さんとは関係がないと思われます。

以上、調べた範囲で回答をさせていただきます。
与板地域にお出かけの際は、直江兼続の展示をメインとした「兼続・お船ミュージアム」や前述の大坂屋の別荘といわれる「楽山亭」、与板城址などをご覧いただければ幸いです。

長岡市与板支所地域振興課 xx 電話:0258-72-3100 FAX:0258-72‐3341
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