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No.1359
ものいわぬおきく
もの言わぬお菊
高ヒット
放送回:0862-B  放送日:1992年09月26日(平成04年09月26日)
演出:あがわさち  文芸:沖島勲  美術:阿部幸次  作画:上口照人
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あらすじ

お菊は犀川に架けられた久米路橋のほとりに住んでいました。その頃村人の暮しは一様に貧しい生活でした。そして、お菊の家もまた貧しかったのです。

あるとき村の金持ちの倉から小豆が一俵盗まれました。役人達は小豆泥棒をつかまえるためにお菊の村へやって来ました。お菊は村の子供達と遊びながら「おらあ毎日小豆のまんまを食べているだ」と話しました。

それを聞きつけた役人達は、お菊の父を犯人として牢獄へいれてしまいました。その頃の久米路橋は、大雨の降る度ごとに流されていました。そこで村の人達は集って「水神の怒りを鎮めるために、橋の下に人柱を沈める必要がある」として、罪人であるお菊の父を犀川に架ける久米路橋の支柱の下へ埋めてしまいました。

父親を久米路橋の人柱にされたお菊は、それから以後、唖のように物を言わなくなってしまいました。その後、雉の鳴声をたよりに狩人が、その雉を射とめたとき、それを見てお菊はたったひとこと口をきいたのです。

「雉も鳴かずばうたれまいものを」と言ったきり、また唖のようにだまってしまったそうな。

(引用/まんが日本昔ばなし大辞典)


参考URL(1)
http://93mini.blog135.fc2.com/blog-entry-233.html
ナレーション常田富士男
出典信州の伝説(角川書店刊)より
出典詳細信州の伝説(日本の伝説03),大川悦生,角川書店,1976年2年10日,原題「もの言わぬお菊」
場所について長野県犀川にかかる久米路橋
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地図:長野県犀川にかかる久米路橋
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※掲載情報は 2011/2/11 22:30 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
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ゲスト  投稿日時 2022/2/11 16:24
地主さまの倉から小豆を盗んで、悪事を隠す事は非常に絶対絶ー対に無理で最大必ずとてもとってもできません!‼️
ゲスト  投稿日時 2022/1/29 15:55
小豆を盗んだから、悪事を隠すことはとてもとっても無理で必ず絶対絶ー対にできません!‼️
ゲスト  投稿日時 2021/12/13 20:36
小豆を盗んだので、とてもとっても悪質を隠す事は絶対絶ー対に無理でとってもできません!‼️
孫じじい  投稿日時 2020/7/25 15:37
ある日暇なとき、子供とドライブかね久米路橋を訪ね、案内板を読んでやったことを思い出しました。今度は孫と行きます。『キジも鳴かずば』とも同じだと思っています。
ゲスト  投稿日時 2020/5/20 20:55
わかります。あの歌が30年経った今でも忘れられずトラウマになっています。改めて見て酷い話でした。
ゲスト  投稿日時 2019/6/14 20:44
これは、子供の時に観てトラウマになった話しです。
テレビの前でしばらく涙が止まらなかったのを覚えています。

他の妖怪やおばけに殺されるのよりも実際にありえそうな話。
やっぱり人間が一番こわい
ゲスト  投稿日時 2019/2/3 20:24
今日、偶然このサイトでこの話を読み、記憶が蘇りました。
私の記憶では、病気の娘のために父親が盗んだのは、たった一掴みの小豆でした。
それを食べて元気になった娘は、一人で鞠遊びをしている時に「赤まんま食べた。美味しいまんま食べた」と歌い、それを聞いた村人(村役人?)によって、人柱にされてしまう、という話だったと思います。
おそらく、ここに書かれているのが正しい伝承で、アニメではより哀しい話になるように、脚色されていたのかもしれません。
無邪気な娘の鞠遊びが、なんとも哀れだった事を覚えています。
ゲスト  投稿日時 2019/1/13 23:15
悲しいお話で幼いながらも考えさせられ、忘れられないお話です。
ゲスト  投稿日時 2018/9/16 21:10
「キジも鳴かずば」のリメイク版ですが、個人的にはこちらの方が悲しく感じます。
重いトラウマを抱えた主人公が「生き残ってしまった」、「生存し続けてしまう」というところが旧作より重いところだと思いました。
だからといって旧作のようにいなくなれという訳ではないのですが、あれ以来一言も口を利かない娘を抱える親の立場で考えてみると、ある意味消失より辛いものを感じます。

旧作と比べてこちらの方は鮮やかに、ダイレクトに悲しみを描いていたのも、先に書いたように思った理由の一つなのかなとも思いました。
夾竹桃  投稿日時 2018/7/8 14:08
画と語りの両方で、細かい描写がされています。特に語りには生々しさがあると思います。
「(実際にお父が盗んだのは小豆ひとすくいなのに、)地主様が一俵と言えば、
一俵として伝わってしまう」
「地主様からの話が村人の総意となって
、お父は人柱として埋められてしまった」
自分が知っているパターンの中では一番、重く、救いがありません。
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