昔、新潟県の親不知(おやしらず)から富山の砺波へ抜ける街道は天下の難所として有名だった。
ある冬の日、ここ親不知近くの茶店に一人の立派な身なりの母親が乳飲み子を背負ってやって来た。母親の名はきぬと言い、侍である夫の新しい赴任先である越後へと、越中から夫の後を追っての道中だった。
「お客さん、今日は一晩ここに泊まって明日出発なさった方がええ。風も出て来たし、波も高いでの。」こう言って茶店のおばあさんはきぬを止めたが、きぬは一日でも早く越後に行って、夫にこの子の顔を見せてやりたかった。そこで、この申し出を断って、3~4人の男衆の後について店を出た。
ところが打ち寄せる荒波は高く、とても波打ち際の道を歩けそうもない。きぬは一番の難所で立ち尽くすはめになってしまった。しかし、そうかと言って戻る訳にもいかず、きぬは意を決して波の引いた頃合いを見計らって、高台の岩穴目指して駆け出した。
ところがあと一歩で高台の出口という所で、きぬは懐に入れた赤ん坊もろとも高波にさらわれてしまったのだ。何とか自分だけは岩場にしがみついたものの、懐の赤ん坊は波にさらわれて、その姿は杳として見えない。
「世尊妙相具。我今重問彼。佛子何因縁・・・」きぬはわが子の命を助けたい一心で、とっさに信じている観音経の一節を唱え出した。するとどうだろう、何と波間から赤ん坊の姿が現れ、赤ん坊は宙に浮かびながら、きぬの手もとに戻ってきた。
きぬはわが子の命を救ってくれた観音様に深く感謝し、また旅人が無事この難所を通り抜けられるようにと、その後二体の波よけ観音を岩の上に安置し、お祀りしたということだ。
(投稿者: やっさん 投稿日時 2012-5-3 8:30)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 新潟県 |
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