昔々、日向灘の一ッ葉(ひとつば)という細長い入り江で、漁を生業にする若者がいた。若者は腕のよい漁師で、嫁をもらうため毎日一生懸命働いていた。
ところがどうした訳か、ここ数日は雑魚一匹網にかからない日が続いた。夕暮れ時になり、若者が網をしまっていると、ここらでは見かけない一人の美しい娘が、軽い足取りで岩場をピョンピョンと渡って来た。そして、娘の籠には鱸(スズキ)がたくさん入っていた。
若者は娘にどこに網を入れたのか聞きたかったが、そこはグッと我慢した。一人前の漁師が若い娘に魚の付き場を聞くなど、恥かしいと思ったからだ。しかし次の日もまた次の日も雑魚一匹とれず、若者はたまらず夕暮時に通りがかるこの娘に、どこで魚を取ったか聞いてみた。
すると娘は言う。「観音経を念じながら、この先の三本松の海に網を入れてみなされ。」そこで若者はその夜、夜も更けるのも忘れて必死に観音経を覚えた。そして夜が明けると、娘に言われた通り観音経を唱えながら三本松の海に網を入れた。
しばらくすると、網になにやらズシリと重いものがかかった。網を引き揚げてみれば、何と海から揚がったのは、金でできた魚籃観音像だったのだ。若者は観音像を拝んだのち、これをお寺に安置しようと宝寿山正光寺(ほうじゅさんしょうこうじ)へと向かった。
するとどうだろう。正光寺の門前には、若者が浜で見た娘とそっくりの旅姿の娘が立っているではないか。娘が言うには、夢枕で観音様が立たれ、夫婦となる相手は日向の漁師、四十右衛門(よそうえもん)であると聞き、遠く豊後の国からやって来たという。そして今、黄金の観音像をかかえ娘の前に立つ若者こそ、その四十右衛門なのだ。そう、四十右衛門が浜で見た娘は、観音様の化身だったのだ。
こうしてこの娘と四十右衛門は、観音様のお導きで夫婦となり、末永く幸せに暮らしたということだ。また四十右衛門の網にはよく魚がかかり、運にも恵まれ、のちに清水四十右衛門と呼ばれる分限者(ぶげんしゃ)にまでなったそうだ。
(投稿者: やっさん 投稿日時 2012-5-2 11:15)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 宮崎県 |
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場所について | 正光寺 |
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