昔々、隠岐の島(おきのしま)は西郷町の中村に、三郎左右衛門という名の年を取った木こりの頭(かしら)がいた。ここ、道後地区の山林については島の誰よりも詳しかったが、そんな三郎左右衛門でさえも、まだ一か所だけ行ったことのない場所が島にあった。
そこは、大きく成長した杉の木に囲まれた淵だった。この淵には魔物が棲み、近づく者を淵に引き入れると言われていたため、誰一人としてこの淵に近づく者はいなかったのだ。
しかし、齢(よわい)六十を超えた三郎左右衛門の心の中に、あの淵周辺の見事な杉の木を自分の手で切りたいという思いが次第に強くなっていった。
そしてある日、遂に三郎左右衛門は淵へと向かった。そこで一本の杉の木に狙いを定め、斧を振りかざす。ところが、三郎左右衛門は誤って斧を淵へ落としてしまった。
すると、淵からは異様なうめき声が聞こえ、巨大な蟹のハサミが浮かび上がってきた。三郎左右衛門はこれを見て恐ろしくなり、淵から逃げ出そうとしたが、美しく澄んだ娘の声が三郎左右衛門を呼び止める。
三郎左右衛門が振り返ると、淵の水面には美しい娘が立っていた。娘はこの淵の主であったが、いつの頃からか大きな蟹がこの淵に棲みつき、娘は囚われの身になっていたのだと言う。ところが今、三郎左右衛門の斧が蟹の片方のハサミを切り落とし、蟹は弱っている。どうか自分を助けると思って、蟹を倒してほしいと、娘は三郎左右衛門に懇願するのだった。
三郎左右衛門は恐ろしくなり、一度は家に逃げ帰るも、囚われの身となっている娘の事を思うと不憫でならず、翌朝決意を固め再び淵へと向かった。三郎左右衛門が淵に入ると、巨大な蟹が目の前に立ちはだかった。ところが蟹は、ハサミが岩の間につかえ、もがいている様子だった。三郎左右衛門はこの隙を見逃さず、蟹のハサミを見事切り落とした。
数日後、安永川の河口にハサミのない巨大な蟹の死体が上がった。大蟹は退治され、村人は安心して淵の周りで木が切れるようになった。しかし、淵の周りだけは主に失礼が無いように杉の木が残された。そしてこの時以来、この淵は蟹淵と呼ばれるようになったそうだ。
(投稿者: やっさん 投稿日時 2013-11-30 18:53)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 離島の伝説(角川書店刊)より |
出典詳細 | 離島の伝説(日本の伝説50),酒井董美,角川書店,1980年9年20日,原題「年老いた木樵りと魔蟹」 |
場所について | 隠岐の島町元屋(地図は適当) |
このお話の評価 | 6.33 (投票数 6) ⇒投票する |
⇒ 全スレッド一覧