No.1176
ふですてのまつ
筆捨ての松

放送回:0742-A  放送日:1990年03月24日(平成02年03月24日)
演出:三輪孝輝  文芸:沖島勲  美術:安藤ひろみ  作画:吉田利喜
和歌山県 ) 6167hit
名人といえどもおごり高ぶりはならん、という話

昔、巨勢金岡(こせのかなおか)という絵描きの名人がいた。

ある日、熊野へ那智の滝(なちのたき)を写生するために旅に出た。その途中、藤白峠(ふじしろとうげ)で、7.8歳くらいの男の子と出会った。魚の入った天秤棒を肩に担いで熊野からやってきたという。

二人は絵の描き比べをする事になった。男の子は松にウグイスの絵を、金岡は松にカラスの絵を描いたが、どちらも見事な出来栄えで甲乙つけがたかった。

男の子は「この絵の鳥を飛ばせてみよう」と言って手を一つたたくと、ウグイスは絵から抜け出した。驚いた金岡も手をたたいてみたが、カラスはなかなか絵から抜け出なかった。ところが、男の子が目眉をピクピクすると、カラスはあっさり絵から抜け出た。

さらに男の子は「今度は、抜け出た鳥を絵の中に戻そう」と言い、手を二つたたくとウグイスは戻ってきて絵の中におさまった。しかし、カラスは金岡がどんなに呼んでも戻ってこなかった。

男の子が去った後、松の木にたくさんのカラスたちが集まり、金岡をあざけるように鳴いていた。カラスは「いくら名人巨勢金岡といえども、あの子にはかなうまい。あの男の子は熊野権現様の化身じゃからな」と言ってカーカー鳴いた。

金岡は悔しさのあまり、持っていた大きな筆を松の根本に投げ捨てた。「熊野権現様が、わしの思い上がりをたしなめられたのかもしれん」と、思い直した。

その後、都に帰った金岡は二度とおごることなく、絵の修業に励んだという。名人といえどもおごり高ぶりはならん、という戒めをのこして金岡が筆を投げつけた松を「筆捨松」と呼ばれるようになったそうだ。

(投稿者: マルコ 投稿日時 2013-8-24 18:26)


ナレーション市原悦子
出典徳山静子(未来社刊)より
出典詳細紀州の民話(日本の民話56),徳山静子,未来社,1975年04月25日,原題「筆捨ての松」,採録地「海南市」,海南風土記より
場所について筆捨松(藤白神社の近く)
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地図:筆捨松(藤白神社の近く)
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※掲載情報は 2013/8/25 9:06 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
1件表示 (全1件)
マルコ  投稿日時 2013/8/25 13:20
丹後の伝説27より引用

えかきの金岡さん
赤野の中世集団墓
平の力男
きつねがり(舞鶴市平)
大きなわらぞうり(舞鶴市平)
へきこ与平(舞鶴市平)
八幡神社(舞鶴市平)
惣兵衛ビワと吐月水
カラス島
蛇島
を収録

えかきの金岡さん   (赤野)

 多称寺村をあがるところに赤野村がある。平村の北にあたる。延徳二年(一四九○年)河辺村半済方御年貢米銭納帳写(西大浦村誌)に
  赤野村二十三貫三百十八文
     二十一石六升二勺五才
とあり、彦左衛門、赤野弾右衛門の名が記されている。河辺村のなかでは最も貢租を負担していた豊かな村である。

 当村には、平安時代初期の絵師巨勢の金岡の屋敷跡があると伝えられる。旧語集は「当村巨勢金岡屋敷跡あり、伝云姓は巨勢宮大納言無位階自然至+秦丹青妙学呉道子筆法及精仏像、仁和四年九月五日賜詔、宇多帝画賢聖之図和国之名筆也」と設す。

 大正から昭和にかけて郷土史家の山本さんの記録によると、金岡墳塚の石棺が、多称寺中腹の「じょうどじ」山という緩やかな傾斜地にあり、上中下三段の台地がある。ここが金岡寺の旧趾である。四、五尺もあろうかという礎石があり、屋敷地は石崖を廻らし平面図としてみれば香爐形をなす、巨勢金岡が画面に用いた落款印形どおりの二脈香爐形と一致する。金岡の死没年代がはっきりしていない。この石棺の調査がまたれる。

 金岡は貞観年中(八五九年)神泉範の長官であった。平安時代の中期ごろから唐絵がおとろえ、日本固有の画風がおこってきた。この和様の絵を大和絵といっているが、この始祖が金岡だといわれている。松尾寺の寺宝とし国の文化財に指定されている「普賢延命像」「孔雀明王像」は金岡の筆であり、元慶四年京都御所紫宸殿の障子に「聖賢の障子」といわれるのを画いたのも残っている。

 「筆捨松」の話。平安初期、風景や風俗画に新様式を開いた宮廷絵師、巨勢の金岡が、熊野詣での途中、峠の枝ぶりのよい松に腰をかけ写生をしていた。そこへ一人の童がでてきて「どちらが上手か、競争しよう」と持ちかけた。どちらもうまくて甲乙決めがたい。そこで童は、描いた鳥をとび立たせると、金岡もウグイスを飛びたたせた。さらに童が手をたたくと、鳥は絵にもどったが、ウグイスは帰ってこない。金岡はくやしくなり、絵筆を松の根元に投げすててしまった。その童こそ、熊野権現の化身で、おごった金岡をいましめるためにやってきたのだという。この話は土地の人たちの教訓となって今だに残っている。村人は近くに石碑を建て、二代目の松を植え大切にしている。
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