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しょうぜんどん(しょうぜんどん)

放送回No.1108(0699-A)
放送日1989年05月20日(平成01年05月20日)
出典福岡のむかし話(日本標準刊)より※表記ミス
クレジット演出:こはなわためお 文芸:沖島勲 美術:青木稔 作画:遊佐和重
ナレーション市原悦子
備考アニメでの出典は間違いで、本当は「続 福岡のむかし話」が出典元。

一鍬幅(ひとくわはば)の溝を掘り、田に水を引いた大男のとんち話

昔、九州の福岡では黒田藩と秋月藩の二つの藩が絶えずいがみ合い、百姓達はいつも迷惑を被っていた。ある年の事、黒田藩にある秋月藩へ水を送る上西堰(かみにしぜき)が大洪水で流され、秋月藩の百姓達は田に水が引けなくなってしまった。

そこで上西村の人達は、秋月の代官所に堰の作り直しの許可を貰うため何遍も頼んだが、秋月の代官は堰の水取口が黒田藩の領地にある以上、黒田の代官所から許可が下りなければ返答ができないとこれを断り続けた。それというのも上西堰が止まったため黒田藩の田には秋月藩の分まで水が流れ、これをいい事に黒田藩は堰を作り直す許可を与えなかったのである。

ところで上西村には「しょうぜんどん」という知恵も力も人並み外れた大男がおり、村の田が干上がるのを見過ごせなかったしょうぜんどんは直接黒田の代官所へ行き、そこで上西堰の作り直しを願い出た。その願い出が何度も何度も続いたため、うんざりした黒田の代官は「一鍬幅の溝ならよい」とつい許可を与えてしまう。

これを聞いたしょうぜんどんは村に帰ると鍛冶屋を訪ね、一晩かけてとても大きな鍬を作ってもらった。最初は一鍬幅の溝と聞いてがっかりしていた村人達もこの鍬を見て、流石はしょうぜんどんだと感心し、しょうぜんどんは早速村人達と共に上西堰へ向かった。

上西堰に着くとしょうぜんどんは大鍬を打ち込んで溝を掘り起こし、村人達は一鍬幅からはみ出さないよう慎重に溝を深く掘った。ところが丁度堰の水取口を開いた時黒田の代官が視察に来て、大きな溝から水が流れるのを見た代官は話が違うとしょうぜんどんを問い詰めた。

しかししょうぜんどんが「鍬の幅の広さについては何も言わなかった」と答えたので、これには代官も反論ができず悔しがるばかりであった。こうしてしょうぜんどんの「一鍬掘」のおかげで上西村の田は元の青田に戻り、しょうぜんどんの事はいつまでも語り継がれたという。

(投稿者: お伽切草  投稿日時 2012-12-9 18:22 )

参考URL: 
http://www.qsr.mlit.go.jp/onga/contents/10_kasenkankyou/onga/sirabete/iitutae/hitokuwabori.htm


参考URL(1):http://yama20070810.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-53be.html
参考URL(1):http://www.geocities.jp/rnfxd155/akidukihp/ookuma/syonin/syonin.htm
地図:鍬一幅の水路(地図は適当)

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