昔ある村に、働き者の与平という男とその妻がおりました。与平夫婦の田んぼは、猫の額ほどの小さなものでしたので、二人の生活は決して楽ではありませんでした。
明日が稲刈りという晩、汚い身なりで臭いニオイの旅の坊さんが訪れました。夫婦はいつものニコニコ顔で坊さんを招き入れ、お風呂をわかし、汚れた衣を洗い、大根を全部料理してご馳走してあげました。
翌朝、目を覚ました夫婦が稲刈りに出かけようとすると、坊さんが「是非、稲刈りを手伝わせてくれ」と言い出しました。夫婦は「狭い田んぼで一日もかからないから」と、丁寧に断りましたが、坊さんの強い希望で三人で稲刈りをする事にしました。
坊さんはいかにも楽しそうに、唄を歌いながらサクサクと稲を刈っていきました。夫婦もつられて一緒に歌いながら、一日中気持ちよく働き、沢山の稲を刈りとりました。夕方になりふと田んぼを見ると、去年と同じくらい刈り取ったハズなのに、まだまだ沢山の稲が残っていました。
翌日も三人で精一杯、稲刈りをしましたが、それでもまだ田んぼに半分の稲が残っていました。また翌日も三人で必死で稲刈りをして、どうにか夕方ごろに全部の稲を刈りとる事ができました。不思議な事に、刈り取った稲は去年の何十倍もの量になりました。
こんな事があってから、与平夫婦の田んぼからは、毎年たくさんの米がとれるようになり、これまで世話になった村人たちにも分けて回るようになりました。さらに翌年には、夫婦に子宝も恵まれて、二人はいつまでも幸せに暮らしました。
村人たちは「坊さんはきっと弘法大師だったのだろう」と、うわさしました。
(紅子 2012-7-25 3:20)
ナレーション | 市原悦子 |
出典 | 愛知のむかし話(日本標準刊)より |
出典詳細 | 愛知のむかし話(各県のむかし話),愛知のむかし話研究会,日本標準,1978年09月01日,原題「新田の与平さ夫婦」,再話「吉田理」,名古屋の民話たずねて |
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