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No.1038
うどんととのさま
うどんと殿さま
高ヒット
放送回:0655-A  放送日:1988年06月25日(昭和63年06月25日)
演出:三善和彦  文芸:沖島勲  美術:内田好之  作画:三善和彦
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美食家で肥満の殿様がうどんの美味しさに出会った

昔、伊予の国大州(おおず)の殿様は大変な美食家で、毎日沢山の御馳走を用意させていたが一度も美味しいとは言わず、「明日はもっと旨いものを」などと言っては家来達を困らせていた。その上他にやることがないので体を動かさず、旨いものばかり食べているのですっかり太ってしまっていた。

そこで何とかして殿様に運動してもらおうと城下の見回りに連れ出したものの、殿様は馬上で居眠りばかり。しまいにはそのまま馬から転げ落ち、慌てて駆け寄った家来達の心配顔をよそに相変わらず眠ったままという有り様。

さんざん悩んだ末に家来達は、殿様自ら体を動かすようになるようにと、今度は小田深山(おだみやま)に鷹狩りに連れていった。始めは眠そうだった殿様も、次第に夢中になって兎を追いかけるうちに、すっかりお腹がすいてしまった。

山の中で突然食事の用意を申しつけられた家来達は大慌て。とてもいつものような御馳走は用意できない。ようやく見付けた近くの人家で頼み込むと、その家のお爺さんがうどんを打ち、飯櫃に入れたお湯の中に泳がせて持ってきた。

そんな物とても殿様の口に合わないと思って家来達がハラハラしながら見ていると、体を動かしたことですっかり腹をすかせた殿様は、一口食べるなり「旨い、旨い」と大喜び。あっと言う間に平らげてしまった。

こうして殿様はうどんが大好物になり、又家来達の進言を聞いて体を動かすようになって、太っていた身体も随分と引き締まった。これが小田の手打ちうどんの起こりだという。

(引用:狢工房サイト)


参考URL(1)
http://mujina.agz.jp/udontono.html
ナレーション常田富士男
出典愛媛県
場所について喜多郡内子町の小田深山(地図は適当)
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地図:喜多郡内子町の小田深山(地図は適当)
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※掲載情報は 2011/2/11 22:30 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
8件表示 (全8件)
超獣戦隊ライブマン  投稿日時 2022/1/6 21:20
マンガ日本昔話(1976年版)(そばと殿様、川田のナマズ神)
(1988年6月25日(土)放送)(第655話)
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超獣戦隊ライブマン  投稿日時 2022/1/6 19:41
マンガ日本昔話(1976年版)(そばと殿様、川田のナマズ神)
(1988年6月25日(土)放送)(第2 655話)
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ゲスト  投稿日時 2017/3/25 18:50
この話、どこか「目黒の秋刀魚」に通じるものがありますね。
上川出身  投稿日時 2017/2/25 15:02
地元なんで小田の昔話しで読んだ、今ではたらいうどんは名物となりました、小田地区では冠婚葬祭にはかかせないご馳走ですね。
ゲスト  投稿日時 2016/12/28 20:29
昔ばなし版・ライザップだわ・・。
匿名希望  投稿日時 2015/12/28 15:24
殿さまって、うどんが超大好きなんだ!
ゲスト  投稿日時 2015/6/18 21:13
加藤 泰候(かとう やすとき、宝暦10年3月2日(1760年4月17日)- 天明7年7月4日(1787年8月16日))は、伊予大洲藩の第9代藩主。

■ 砥部焼
砥部焼(とべやき)は、愛媛県砥部町を中心に作られる陶磁器である。一般には、食器、花器等が多い。愛媛県指定無形文化財。別名喧嘩器とも呼ばれる。
後背の山地から良質の陶石が産出されていたことから、大洲藩の庇護のもと、発展を遂げた。
やや厚手の白磁に、呉須と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴。砥部焼の多くは手作り成形のため、全国的に見ても決して大産地や有名産地ではないが、独特の風合いが愛好家に評価されている。なお、近年ブームの讃岐うどんの器としても砥部焼はよく用いられる。

■ 歩 み
砥部焼は、大洲藩・九代藩主、加藤泰候(かとう やすとき)の時代に、藩の財政を立て直すため、砥石くずを使った磁器づくりを命じたことに起源を発するといわれている。命じられた杉野丈助(すぎの じょうすけ)が砥部の五本松という所に登り窯を据え、苦労の末に1777年(安政6年)にようやく白地に藍色の焼き物作りに成功したといわれる。
焼き物に必要な薪も近くの山々で豊富に採れたうえ、傾斜地に流れる渓流や小川は水車を据えるのに適しており、原料の砥石を砕き陶土にするのに盛んに用いられた。
http://nagomi-web.com/maturi_tv/14_ehime/tv_b_29.html
ゲスト  投稿日時 2015/6/18 19:35
小田うどん 道の駅 小田の郷せせらぎ
小田といえば”たらいうどん” その昔、大洲のお殿様が、あまりの美味しさに”手打ちじゃ、手打ちじゃ!”といって家来を震え上がらせたという逸話も残るほど。”コシ”がないのが特徴で、”腰が抜ける”ほど美味しい柔らかいうどんです。
http://www.odamachi.com/commodity.html
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