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海に消えた鐘(うみにきえたかね)

放送回No.1004(0632-B)
放送日1988年01月16日(昭和63年01月16日)
出典新潟のむかし話(日本標準刊)より
クレジット演出:河内日出夫 文芸:沖島勲 美術:板倉佐賀子 作画:荒川真嗣
ナレーション市原悦子
備考アニメでは上越の出雲崎と言っていますが、実際は上越市直江津から海沿いに北へ約60km離れた中越地方の出雲崎町です。

あらすじ

昔、出雲崎に鐘作りの名人がいて、その鐘はどんな悪天候の日でも遠くまで鳴り響くと有名だった。ある日お殿様から三里四方に聞こえる鐘を作った者に褒美をとらせるというお触れが出されたが、たとえ名人でもこれは難しい事であった。

次の日名人は直江津まで仕入れに出かけ、あと二里半の所で一休みしていた。すると、遠く直江津の方から美しい鐘の音が聞こえてくる。名人は用事もそこそこに鐘を探し、鐘が鳴っていた寺を見つけ和尚から作り手の家を聞いて訪ねてみた。鐘を作っていたのは病気の母親と暮らす若い男だった。家の中を覗いてみると、若者は母親に「お触れの鐘作りには命をかけている。褒美を貰えば薬も旨い物も買える、それまでの辛抱だ。」と話していた。名人はその夜親子の事を考えて一睡もできなかったが、若者に同情はしまいと決心し、鐘作りに取り掛かった。

三里四方に響き渡る程の鐘を作り上げたのは結局出雲崎の名人と直江津の若者だけだった。そこで波の静かな月夜の晩、二子山近くの浜辺でお殿様の前で優劣を競う事になった。若者は浜で、名人は船で三里より沖へ出て鐘を打ち、遠くまで聞こえた方を勝ちとする。船を沖に進めては鐘を打ったが勝負は中々つかず、その内お互いあまりに強く鐘を打ち合ったせいなのか、静かだった海が次第に波立ったかと思うとみるみるうちに大荒れの嵐になり、あっという間に名人の船は飲み込まれた。

浜にいた者は助かったが出雲崎の名人はとうとう帰らず、褒美は直江津の若者に渡った。名人を失った出雲崎の人々は悲しみにくれたが、二人の見事な争いは語り継がれた。今でも月の美しい夜、二子山に登ると海の向こうから美しい鐘の音が聞こえてくるという。

(投稿者: 雪国のクマ 投稿日時 2012-2-14 21:39 )


参考URL(1):http://www2.odn.ne.jp/~chj13670/newsub62.html
地図:二子山(出雲崎町の良寛記念館そばの切り立った小山)

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