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No.0998
わたぼうしをかぶったおじそうさん
綿帽子をかぶったお地蔵さん
高ヒット
放送回:0630-A  放送日:1987年12月26日(昭和62年12月26日)
演出:三善和彦  文芸:沖島勲  美術:安藤ひろみ  作画:三善和彦
岡山県 ) 21643hit
お地蔵様が心のやさしいお爺さんとお婆さんに福を授ける

昔々、ある所にとても貧乏なお爺さんとお婆さんが住んでおりました。明日はお正月だというのに、2人の家には1粒のお米もなく、お餅をつくことも出来ません。何か売れるものは家の中に無いものかと2人は探しますが、金目のものは何もありません。

2人は、ようやく納屋(なや)でお婆さんがお嫁に来た時に被っていた綿帽子を見つけます。お爺さんは、お婆さんの思い出の品を売るのは忍びなかったのですが、売れるものはこれしか無く、背に腹は変えられません。お婆さんの綿帽子を街に売りに出かけます。

お爺さんが街に向けて歩いていると、いつしか雪が降り始めました。お爺さんがしばらく道を歩いていると、1体のお地蔵さまが道端にありました。お地蔵さまは、降り積もった雪の中に寒そうに1人ポツンと立っていました。お爺さんは、お地蔵さまの頭に自分の被っていた破れ笠を被せますが、それでは何ともみすぼらしいので、代わりにお婆さんの綿帽子を被せて家に帰りました。

こうした訳で、結局お米は買えませんでしたが、これを聞いたお婆さんは怒るふうでもなく、「お爺さんは、いい事をしなさった。」と言います。お餅がなければ、お正月が来ない訳でもなく、今日は暖まって寝ようと言うことで、その夜2人は囲炉裏に薪を多めにくべて床につきました。

ところが夜も更けた頃、なにやら縁側で音がします。お爺さんが見ていると、何とそこには、昼間のお地蔵さまが綿帽子をかぶって立っていました。2人はびっくりしましたが、お地蔵さまも寒かったので、家にいらしたのだろうと、お地蔵さまを囲炉裏のそばに置いて床につきます。

すると今度は、なにやら「ポツリ、ポツリ」と音がします。2人が見ると、何とお地蔵さまの鼻の穴から米粒が落ちてくるのでした。慌てて敷物を敷くと、お米はお地蔵さまの鼻の穴からシャーシャーと流れ出し、家の中はお米でいっぱいになりました。

こうしてお爺さんとお婆さんは、正月のお餅をつくことが出来、本当にめでたいお正月を迎えたそうです。 

(投稿者: やっさん  投稿日時 2011-12-10 11:18)


ナレーション常田富士男
出典稲田浩二(未来社刊)より
出典詳細岡山の民話(日本の民話36),稲田浩二,未来社,1964年03月15日,原題「綿帽子をかぶったお地蔵さんの話」,採録地「真庭郡美甘村」,話者「河井繁太郎」
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※掲載情報は 2011/12/10 11:18 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
10件表示 (全10件)
ゲスト  投稿日時 2015/11/2 18:51
美甘神社
神社コード 14047 神社名 美甘神社(ミカモジンジャ) 通称名 一宮さん 旧社格 村社
〒717-0105 真庭市美甘3902 宮司宅電話 0867-56-2131
主な祭典 3月中旬 : 春祭 10月15日 : 例大祭 11月23日 : 新穀感謝祭
交通 JR姫新線中国勝山駅から新庄行きバスにて25分、美甘上バス停付近。
氏子地域 美甘村大字美甘、大字田口(湯谷、太井坂)
由緒
 当社は太古から宮座山(現新庄村)に美甘郷の総鎮守神として味鋤高彦根命を祭る大宮所があった。
 御祭神の別名を御鴨神と申し上げたことから御鴨神社と呼ばれた。郷名も孝徳天皇大化2年御鴨と定められ、元明天皇和銅6年の詔により美甘郷となる。
 その後火災に遭い、美甘と新庄の2ヶ所に分けて祀られることになり、三条天皇の長和5年本庄宮原の宮峪に遷座する。
 天正4年守護森家の時、町頭の現在地に遷座し、国司神社と並祀する。天正10年、例祭日の10月9日を10月19日に変更する。
 明治6年、それまで御鴨神社としていた社名を美甘村の総社として美甘神社と改める。
 明治43年同村平島の惣社神社、宇南寺の八幡神社、その他数社を合祀する。よって御祭神も主祭神の他大国主命、須勢理毘売命、素盞鳴命、大山祇命、誉田別命、少彦名命、神功皇后、武内宿禰、と多くなり、境内には本殿の他、疫神社、若宮神社、その他小さな末社が4社ある。
 本社の由来を示すものとして、神社の宝物となっている平賀左衛門太郎元義の「美甘神社考証書」がある。これは、元義が新庄村の宮座山と一宮社(本社)を歴訪しての帰り、神代村の社家神田家に足を止め、酒に浸りながら書いたと伝えられ、神社の由緒のみならず、古代から中世にかけての美甘荘歴史の一端をうかがうのに参考となる資料でもある。 文中鋤は(金へんに且)
御祭神 味鋤高彦根命
http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=14047
人は樹の下に佇んで何を思うのでしょうか。かつてはたたらで栄え、宿場町として賑わったこの村も、そんなことが嘘のように、今は静かなたたずまいの中にあります。そしてこの美甘神社の大杉はそれをじっと見守ってきました。 樹の下の時間は、他の場所と比べてゆっくりと流れるようで、人の思いは迷いの淵を彷徨います。
http://limestone.blue.coocan.jp/outdoor/iroiro/mikamo/mikamo2.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/asakasig22ki/30500838.html
ゲスト  投稿日時 2015/11/2 18:40
出雲街道 美甘宿 前後に地蔵さんあります。
http://8tagarasu.cocolog-nifty.com/sakamitisannpo/2010/05/post-61e4.html

美甘宿 舟形地蔵さん
http://jiromaru.nobody.jp/kaido/izumo3.htm

岡山県の北西部、鳥取県との県境に接する新庄村の東に位置する美甘村は、新庄村と共に出雲街道の宿場町として発展した町並みが今も残ります。
周囲を標高1,000m級の山塊に囲まれ、村内の主な集落も600m級の丘陵平坦地に形成されている美甘村ですは、古来より出雲・山陰と山陽を結ぶ要衝にあった為に、常に戦火に見舞われ続けてきました。
出雲街道が本格的に整備され始めたのは江戸時代に入ってから。津山藩によって新庄と高田(後の勝山)に宿場町が設置されます。新庄川に沿って深い谷の崖縁や急斜面などを開削して整備された新道であったものの、荷物輸送の人馬は平坦地の2倍、費用は3割増を要しました。こうした中で、高田と新庄の中間に位置する美甘は人馬の休憩所、中継点として整備されました。ただしこの時はまだ正式な宿場町ではありませんでした。
その後、輸送業の発達、出雲街道の交通量の増加、さらに山陰諸藩の大名の参勤交代の際の宿泊所として、寛文6年に津山藩がお茶屋を、安永4年には松江藩が本陣をこの美甘に置いた事によって、商家や旅籠屋が軒を連ね、宿場町の様相へと変わっていきます。江戸期の文献には街道に沿った約240mの間に33軒の家並みが並んだと記されています。
さらに街道渡世以外でも、「たたら製鉄」などの鉱業・製鉄業では周辺地域から資本家が参入し、明治中期ごろには最盛期を迎えました。
美甘宿は新庄川に沿った細長い平坦部を縫うように走る出雲街道沿いに形成されています。
また宿場から北へは、真庭郡や蒜山方面へ至る往還が出雲街道から分かれています。
国道は美甘宿の北側をバイパスしていますが、集落への入口には「美甘宿」の表示が設置され、さらに以前訪れた時よりも、古い商家の多くに改修工事、修景作業が進められていました。すでに取り壊された豪商の商家もありましたが、今後のより一層の町並み保全に期待されます。
http://www.ichiro-ichie.com/06sanyo/okayama/mikamo/mikamo01.html
ゲスト  投稿日時 2015/11/2 17:46
美甘宿(みかもじゅく)は、現在の岡山県真庭市に置かれた、出雲街道の宿場。

真庭市美甘(旧真庭郡美甘村)は古代宇南寺を中心にして開け、中世の頃から戦乱期にかけて美甘神社と麓城を中心としながら集落ができたとのこと。宿場の形成は、津山藩が承応元年(1652年)から3年間かけてつくりあげたと言われている。美甘神社前の河原町から、上町、中町、下町へと、約240mの間に家が並び、かつての宿場のなごりを見ることができる。現在の道幅6.4mは昔のままであるという。南の新庄川と北の国道181号にはさまれ、東西に続く建物はかなり変化していても、かつて繁栄した宿場は山あいに静かなたたずまいをとどめる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E7%94%98%E5%AE%BF
美甘宿場桜(みかもしゅくばざくら)は岡山県真庭市、旧出雲街道美甘宿の町裏の新庄川堤防に咲く桜並木。約600mの間に50本の桜が植えられている。昭和天皇の生誕を記念して植えられた桜並木。河川敷から見上げるとまるで桜のトンネルの様です。
所在地:岡山県真庭市美甘 TEL 0867-56-2105(真庭市商工会美甘支所)
開催日程:4月中旬の日曜日
http://cms.top-page.jp/p/maniwa/3/3/1/11/
ゲスト  投稿日時 2015/11/2 17:29
お話の美甘にある古刹

宇南寺
TEL0867-56-2262 〒717-0105 岡山県真庭市美甘1278
後醍醐天皇が隠岐の島に配流された時ー元弘2(1332)年ー泊所とされたという伝説を持つ寺。
本堂は、装飾もなく極めて簡素な構造ながら、重厚で鎌倉時代の建築様式を残す、数少ない中世建築のひとつ。
住職が本堂で天下太平を祈願したことから本堂を「太平堂」と呼ぶことになったとされている。
http://www2a.biglobe.ne.jp/marusan/phunanjihondo1.html
ゲスト  投稿日時 2015/11/2 17:02
お地蔵さんは出てきませんが、面白い岡山のお正月の爺婆の昔ばなしです。

『小便占い』しょうべんうらない ― 岡山県 ― 語り 井上 瑤 再話 六渡 邦昭
なんと昔があったそうな。あるところに爺さんと婆さんがおって、その日の米にも困るほどの貧乏暮らしじゃったそうな。正月がきたというのに餅(もち)一臼(ひとうす)もよう搗(つ)けず、魚の一切れもよう買わなんだ。
「婆さんや、今日は正月じゃというのに、雑煮を祝うことが出来ん。よそではうまい雑煮を祝うとるじゃろが、こらえてくれぇのう。それでも、ぬくぬくと寝とれるだけええ。うちは、今年は寝正月じゃ、ええ寝正月としょうぞい」そう言うて、爺さんと婆さんはこたつの中で寝とったそうな。しばらくして婆さんが小便しに立った。狭い家じゃから、爺さんの寝とる枕元まで小便の音が聞こえてくる。
「チャウリ チャウリ チャウリ チャウリ」と鳴って、最後に、「ビッチュ-」と屁をこいたそうな。爺さん、それ聞いとって、はたと手を打った。
「こりゃあ、ええ年になるぞ。正月さまの知らせじゃ。備中へ茶売りに行けば儲かるぞ」爺さんは金を借りるだけ借りて茶を仕入れ、備中へ売りに行った。すると売れるは売れるは、茶が飛ぶように売れて、たいそう儲かったそうな。
ところが隣りの婆さんがこの話を聞いて、
「爺さん、爺さん、耳よりな話を聞いて来たで。隣りの爺さんな、婆さんの正月の小便の音で占(うらの)うて、そいで茶売りに行ってぼっこう儲けたそうな」
「そんなら、今度の正月にはうちでも占うてみるか」次の正月に隣りの爺さんは婆さんをせかせて小便しに行かせた。
「そんなら行きますで、しっかり聞いとくんじゃぞい」
「わかった、わかった、しっかり聞いとくで、早よせい」
やがて、「チュ- チュ- チュ- チュ-」と音がした。爺さんが、何を売りに行けっちゅうとるのやろと思案していると、婆さんな、力を入れすぎて「ブ―」とやった。隣りの欲張り爺さんな、その年、中風になって寝こんでしまったそうな。
だから、日頃から便所はきれいにするもんぞ。昔から便所には食べ物を司どる便所神様がおるっちゅうからな。便所に、ご飯をお供(そな)えする家もたくさんあるくらいじゃ。むかしこっぽり杵(きね)のおれ
http://minwa.fujipan.co.jp/area/okayama_002/
ゲスト  投稿日時 2015/11/2 16:38
玉泉寺 〒717-0101 岡山県真庭市鉄山857 TEL 0867-56-2366
“厄払いとガン封じ祈願が有名です”
 福岡より遥々、7時間かけ祈願に参りました。宗派は高野山真言宗で本尊は大日如来。大日如来像と同じく本堂に不動明王像がガン封じや厄除けにご利益あるそうです。メール等でも祈願を対応されてますが、本堂で直接ご祈祷をお願いしました。季節が良ければ境内の石楠花やアジサイの花々が美しいのでも有名です。静かで昔話に出てきそうな山寺で身が引き締まる感じがしました。ご祈祷済んだ後に木札、お守り、ガン封じ箸を頂きました。
http://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1023460-d5768382-r187329331-Gyokusenji_Temple-Maniwa_Okayama_Prefecture_Chugoku.html#UR187329331
お地蔵さんもいらっしゃいます。
http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g1023460-d5768382-i86017216-Gyokusenji_Temple-Maniwa_Okayama_Prefecture_Chugoku.html


いぼ地蔵大菩薩 岡山県真庭市江川 (旧真庭郡勝山町江川)
夫の実家に帰省する途中に偶然見つけた。向かい側の景色、川の水もきれい。
岡山から鳥取に向かう途中にあるこのお地蔵さん、霊験あらたかで、うちの家族は何度もお世話になりました。
http://ironna-koto.blog.so-net.ne.jp/2006-08-16
http://hiramatu-hifuka.com/iboibo/ibozen2.html
ゲスト  投稿日時 2015/11/2 16:10
美甘村(みかもそん)は岡山県北部(真庭郡)に位置した村。現在は合併により真庭市となり、村役場は真庭市役所美甘支局となっている。
中国山地に位置し、山林で占められている。豪雪地帯対策特別措置法において豪雪地帯に指定されている。産業は林業と農業が主体であり、過疎化が進んでいる。
村の中西部にはクリエイト菅谷という農村リゾートがありキャンプ・陶芸体験などができる。
美甘村立美甘小学校、美甘村立美甘中学校、現在は両校とも真庭市立となっている。
歴史
1764年(明和元年) - 譜代大名の三浦明次が2万3千石で勝山に入封、勝山藩が成立。勝山に城下町が築かれる。
1889年(明治22年)6月1日 - 真島郡美甘村・黒田村・鉄山村・田口村・延風村の5村が合併して美甘村となる。美甘・黒田・鉄山・田口・延風が美甘村の大字となる。
1900年(明治33年)4月1日 - 真島郡・大庭郡が合併、真庭郡となる。美甘村は真庭郡の所属となる。 
2005年(平成17年)3月31日 - 真庭郡勝山町・落合町・湯原町・久世町・川上村・八束村・中和村、上房郡北房町との対等合併により真庭市となる。同日美甘村は廃止。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E7%94%98%E6%9D%91

真庭市美甘(旧美甘村)
真庭市美甘支局 〒717-0105 真庭郡美甘村美甘 4014 TEL-56-2611
人口 1,918 世帯数 560 面積(km2 ) 67.19 花 つつじ・水仙 木 ひのき 鳥 うぐいす
県の北西に位置し、北は新庄村・真庭市湯原、東・南は真庭市勝山、西は新見市大佐に接している。
村の総面積の90%が、中国山地の森林で占められている美しい村である。全長6km余りの美甘渓谷と、江戸時代の往来として栄えた「出雲街道」の散策は、春の新緑、秋の紅葉の頃が最適。また、アウトドアや陶芸・木工など心と体のリフレシュにはクリエイト菅谷へどうぞ。
クリエイト菅谷 美甘渓谷 出雲街道 玉泉寺(がん封じ) 宇南寺 宝蔵寺 不動滝 弥生式住居 旧出雲街道の宿場町として栄えた町。美甘渓谷は、四季折々の自然の表情を堪能させてくれる。歴史の重みを無言のうちに物語る宇南寺は、弘法大師の開基と伝えられている。
http://www2a.biglobe.ne.jp/marusan/mikamo.html
ゲスト  投稿日時 2015/1/10 20:15
ただし米は鼻から出る!というのでしょうか。
ありがたいのですけど。
ゲスト  投稿日時 2014/10/13 23:27
キャラクターのデザインが可愛らしい
マニアック  投稿日時 2011/10/24 21:13
「笠地蔵」のリメイクでしょう。ただクライマックスに、地蔵様の鼻から、米粒が大量に出てくる、という所だけは、違いますが。
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