No.0666
いなむらのひ
稲むらの火
高ヒット
放送回:0418-B  放送日:1983年11月12日(昭和58年11月12日)
演出:三輪孝輝  文芸:沖島勲  美術:三輪孝輝  作画:三輪孝輝
和歌山県 ) 54030hit
自分の稲に火をつけて津波を知らせた男の話

昔、和歌山の広村に儀兵衛(ぎへい)という男が住んでいました。生来の恥ずかしがり屋のため30歳すぎても独身でしたが、隣に住む綾(あや)さんが大好きでした。

ある夏の夕暮れ、その日は村祭りで、綾さんと婆さんが神社に出かけていきました。儀兵衛もワクワクしながら小ざっぱりした着物に着替えていた時、突然グラグラと長い横揺れが起こりました。儀兵衛は「長い地震の後には津波が来る」と村の古老から聞いたことを思い出し、海を見ました。

すると、海の水がものすごい勢いでどんどん沖に引き始めました。儀兵衛は大急ぎで松明(たいまつ)に火をつけ神社に走りましたが、津波の到達するまでにはとても間に合わないと思いました。そこで、稲刈り後の田にあった稲むらに火をつけて気づいてもらおうと考えました。

しかし儀兵衛は、他人の稲に火をつける事にためらいを感じ、自分の田んぼの稲むらに火をつけました。メラメラと燃え上がる稲むらからはモクモクと煙が上がり、祭りに夢中になっていた村人たちも気が付きました。火事を消そうと駆けつけた村人たちに、儀兵衛は「津波が来ているから山へ逃げろ」と声をかけ、婆さんを背負い綾さんと一緒に駆け出しました。

もう目の前に津波が迫ってきていました。村人たちは必死になって山を駆けのぼりました。儀兵衛たちが最後に山へ登りきった時と津波が村を飲み込んだのは、ほとんど同時でした。幸いにも村の中で誰一人死んだ者はなく、人々は村の惨状を眺めながら口々にお礼を言いました。

そのうち儀兵衛は村人と力を合わせ、高くて長い堤防を築きました。これには、妻となった綾さんも尽力しました。

(紅子 2012-1-6 0:08)


参考URL(1)
http://www.inamuranohi.jp
参考URL(2)
http://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/
ナレーション市原悦子
出典徳田純宏(偕成社刊)より
出典詳細和歌山県の民話(ふるさとの民話20),日本児童文学者協会,偕成社,1980年9月,原題「稲むらの火」,採録地「有田郡」,再話「徳田純宏」
場所について稲むらの火の館(和歌山の広村)
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地図:稲むらの火の館(和歌山の広村)
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※掲載情報は 2012/1/6 0:08 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
6件表示 (全6件)
みくり  投稿日時 2020/11/5 13:45
このはなしは、前から知ってましたが、咄嗟でも良く思いつき、村人全員を助けた。偉かった、凄い、(*’ω’ノノ゙☆パチパチ
JPC  投稿日時 2019/7/27 22:31
最近調べて、安政地震の実話に取材した話と知りました。
作中に地震が発生した時、主人公いわく「昨日も地震があったが…」という台詞も、
1854年末に東海・南海と2日連続で大地震が発生した史実と符合しています。
こうして昔話を掘り下げていくと、意外な事実を再発見できて面白いですね。
『みちびき地蔵』も1896年の話ですし、昔話といっても存外近世の話もあるのが意外でした。
櫻井日茉莉  投稿日時 2018/12/9 15:40
素晴らしかった。
ぎへいの勇気に感動した。
ゲスト  投稿日時 2017/6/25 13:28
ヤマサ醤油の七代目、浜口梧陵の行動をもとに書かれた話。
2011年の震災後に注目を浴び、一部の国語の教科書にも載るようになりました。
ゲスト  投稿日時 2015/10/18 18:45
今日のニュースで、和歌山県広川町で行われた
稲むらの火祭りが取り上げられていましたので
この話が実話だった事を知りました。
モデルになった浜口梧陵さんの功績をたたえる
お祭りで、稲束に火を放ち、稲むらの火の故事の
再現もしたそうです。
過去の災害を昔話やお祭りを通して、身近な物
として感じ直す事も、防災の一環だと思います。



 
ゲスト  投稿日時 2011/11/13 11:32
 子供の頃にこのお話を見て“大津波がくる前には干潮の時間でなくても潮が引く”“津波は恐ろしいもの”というのが今でもとても印象に残っています。
 東日本大震災で“津波てんでんこ”という言葉が伝承されていたおかげで助かった命があるように、このお話を子供だけではなく、たくさんの人々に知ってもらい、いざという時に少しでも多くの人々の命が助かればいいなと思います。
 最後になりましたが今回の震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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