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No.0334
てんかいちのはなよめ
天下一の花嫁
高ヒット
放送回:0209-B  放送日:1979年11月03日(昭和54年11月03日)
演出:近藤英輔  文芸:沖島勲  美術:大山哲史  作画:若林常夫
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あらすじ

昔、沖縄の首里という所に、とても美しいつる子という娘と母親が住んでいました。

連日、つる子を嫁に欲しいと縁談が持ち掛けれて困った母親は、首里城近くの園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)に、お参りしました。この事を知った近くの豪農のうすのろ息子の多良(たらー)は、悪知恵をめぐらしました。

多良は神殿の物陰に隠れて「ワシは神である。今日帰り道に一番に出合った男とつる子を結婚させろ」と言いました。母親は神様のお告げと信じて感激しながら、帰り道を歩いていると、出会ったのは多良でした。

母親はショックで寝込んでしまいましたが、つる子は「神のお告げなら仕方がありません」と、多良のところへ嫁に行くことにしました。

結婚式の当日、つる子は月夜の晩に迎えのカゴに乗って出発しました。カゴを担いでいた男たちが、酒に酔って道中すっかり寝込んでいる途中、たまたま秋のお月様見物から首里城へ戻る若い王様と出会いました。

若い王様は、つる子の代わりに黒い子牛をカゴに入れて、つる子をお城へ連れて行きました。やがて目をさましたカゴの男たちは、子牛のカゴを担いで、夜明け頃に多良の家に到着しました。

多良はカゴの中に子牛が入っていたので、大変に腹を立てて、つる子の母親に子牛を突き返しました。何も知らない母親は、つる子が本当に子牛になってしまったと思い込み、子牛を大切にかわいがりました。

やがて三月になり、首里城では御前舞踊(ごぜんぶよう)が開催されて、母親も子牛を連れて見物に行きました。すると、役人が母親のところへやってきて、奥御殿へ連れて行きました。何とそこには、美しく着飾り王妃になったつる子がいました。

母親は、つる子からこれまでの出来事を聞いて「神様は、本当に良いお婿さんを選んでくれたんだねえ」と涙を流して喜びました。そして母親も首里城に住むようになり、いつまでも幸せに暮らしたそうです。

(紅子 2013-11-2 4:47)


参考URL(1)
http://www.ajkj.jp/ajkj/okinawa/naha/kanko/ishimon/ishimon.html
ナレーション市原悦子
出典伊波南哲(未来社刊)より
出典詳細沖縄の民話(日本の民話11),伊波南哲,未来社,1958年08月15日,原題「小牛になった花嫁」,採集者「喜納緑村」
場所について園比屋武御嶽石門(首里城公園内)
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地図:園比屋武御嶽石門(首里城公園内)
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※掲載情報は 2013/11/2 4:47 時点のものです。内容(あらすじ・地図情報・その他)が変更になる場合もありますので、あらかじめご了承ください。
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コメント一覧
9件表示 (全9件)
ゲスト  投稿日時 2019/1/4 6:46
なんでやねんwww
見方がひねくれ過ぎやろ。

母親の愛情と娘の素直さ、親子の日頃の人間性の良さが、結果的に幸運を引き寄せたってことでしょう。

つる子にはそれこそ求婚者がたくさんいたけど、お金持ちや長者の息子だからと、お金や名目目当てに母親はホイホイと承諾せず本当に良いお相手を探そうとしてくれた。

バカ息子に図られてた時には、いくらお金持ちのお坊ちゃんだろうと、おバカにお嫁に出すのを悲しんだり、きちんとした人柄が見えます。
娘の方も、美人だからと鼻にかけるような性格でもなく、バカ息子でも玉の輿!と野心満々な性格でもありません。
日頃からお互いを思いやる、良い人柄の親子だったんでしょうね。

娘が王様に連れていかれた後も、入れ替わった子牛を邪険にせず、大切に育てるような良い母であったからこそ、後々その子牛を連れていたことで見つけてもらえたんでしょう。
さらに、娘もお妃様になれたということは、それだけ王様に愛されたってこと。性格悪かったらいくら美人でも飽きられて王宮に住めなくなっていたはず。

昔と今は価値観も社会も違いますけど、長年受け継がれてきた物語にはきちんと良い教訓があると思いますよ。
読み取るには自分の中に積み重ねた知識や経験、人の感情を推し量るなどのコミュニケーションがものをいいますので、まずはそれを伸ばしてみてはいかがでしょうか?
Perenna  投稿日時 2018/12/20 21:01
この昔話は「南の昔話」(昭和11年)という本に、「牛の嫁入」という題で収録されています。(コマ番号58/174)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463773/58?tocOpened=1

美しい娘さんの名前は「ツル子」で、うすのろ息子の名前は「山戸」(やまと)となっています。
また、採集者は「喜納緑村」とありますが、この人物は「南の昔話」の著者です。
つる子さんの名前は原書でもそうなっています。
山戸の名前を多良に変えたのは、伊波南哲氏の判断だと思います。
いったいなぜ変える必要があったのでしょうかね?
ゲスト  投稿日時 2018/12/9 22:10
素直に神様にお願いできる、綺麗な心をもつべき…ということでしょう。
また、子の幸せを願う親・素直に母親の言うことをよく聞く女の子には良いお導きがある、という沖縄(に限らず全国の民話)にはよくある教訓ですね。
(未承認)  投稿日時 2017/9/27 22:19
(未承認)
ゲスト  投稿日時 2017/9/19 16:32
同感です。どうなるのかとハラハラしたのですが、最高のハッピーエンドで良かった。
ゲスト  投稿日時 2017/9/14 14:49
一体この話の教訓めいたものは何なのでしょうか?
女は楽して幸せになれる可能性に満ち溢れていますよということでしょうか
ゲスト  投稿日時 2017/8/31 20:40
あんな、バカ息子の妻になっていたらどうなっていたことか。
神様が母娘を助けてくれたんだね。
ゲスト  投稿日時 2016/3/4 21:39
沖縄の話はオチがしっかりしていて見やすい。
ゲスト  投稿日時 2015/9/27 22:09
つる子って名前が沖縄っぽくない気がする
元の名前は馴染みにくくて変えたとかかな?
何にせよドラ息子の魔の手から逃れ、超特大の玉の輿に乗れて何よりですわ
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