笹無山 についてのコメント&レビュー投稿
昔、備前の国藤戸という寂しい漁村に漁師の親子が住んでおりました。息子の名は「与助」と言い、大変な孝行者でした。 平穏に暮らしていた親子でしたが、源平の合戦が激化して平家...…全文を見る

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投稿者:マルコ 投稿日時 2012/4/6 19:55
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この話で登場する「佐々木」って名前の武将でピンと来たんですが能の『藤戸』と関係あるかも?(藤戸町って名前だしあらすじがよく似ているし)
能『藤戸』のあらすじ
うららかな春の日。源氏の武将・佐々木盛綱は藤戸の戦の先陣の功により賜った児島に意気揚々と入部し、訴訟のある者は申し出るようにと触れを出します。
すると、さめざめと泣きながら中年の女性が現れ、我が子を海に沈められた恨みを述べます。盛綱はその言葉を制し、訴えを退けようとしますが、せめて弔って欲しいと嘆く母の心を不憫に思い、浦の漁師であった青年を手に掛けた経緯を語るのでした。
-去年の三月二十五日の夜、浦の男を一人呼び出し、この海を馬で渡ることの出来る浅瀬を聞き出すと、その男と二人きり、夜の闇に紛れて下見に向かったこと。このことを誰にも知られまいと男を刺し殺し、亡骸を海に沈めたこと-明白になった真実にますます悲しみをつのらせた母は取り乱して、我が子と同じように殺して欲しいと詰め寄ります。
盛綱は弔いを約束し、母は涙ながらに帰って行きます。弔いのうちに現れたのは、亡者となった浦の男の霊。命を奪われ沈められた有り様を生々しく再現し、恨みの余り、水底の悪龍の水神となったものの、遂には弔いの功徳によって成仏して行きます。

昔ばなしでも佐々木が浅瀬の場所を若者から聞き出した後、若者を殺害してるんですよね・・・。


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投稿者:beniko 投稿日時 2012/4/6 20:47
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書き込みを見て気になったので、未来社の民話の本を読んでみました。出典元である本には、確かに「佐々木三郎盛綱という侍」とありました。※未来社の本に書かれていた内容は日本昔ばなしとほぼ同じでした。
能の演目にもなっていたんですね、能の演目紹介では『平家物語』第十巻「藤戸」を脚色したもの、とありました。以下のページです、ふむふむって感じです。
http://www.hakusho-kai.net/welcome/programs/fujito.html
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投稿者:もみじ 投稿日時 2012/8/6 15:23
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一般に源平合戦での源氏は、極悪な政治をした平家を追い落とす英雄的な扱いですけど、源氏も裏では非道なこともしてたんだなぁと思って、複雑な気分になりました。
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投稿者:通りすがり 投稿日時 2012/8/15 13:24
地図が少し違うようです

目印の位置から200mくらいですかねぇ
北西に行ったところに「天城郵便局」があります
その前あたりに「笹無山」というバス停があります

が、実際の笹無山は・・・
目印から真っ直ぐ北へ約800m「平野皮フ科医院」から
約200m西のあたりです
そして笹無山は「山」でなく「丘」と言おうか
若干、まわりより盛り上がった所です
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投稿者:beniko 投稿日時 2012/8/16 3:20
通りすがりさんの指示に合わせて訂正してみました。正しいでしょうか?もし間違っていましたらまた教えてください。情報提供、ありがとうございました。
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投稿者:通りすがり 投稿日時 2012/8/16 7:55
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早々のご対応、ありがとうございます
実は・・・
私も行ったことがないので正確なことは言えませんが
他資料と比べても、違いはないと思います
直接行くことがあれば(岡山県人ですんで)確認しておきます
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投稿者:芝太郎 投稿日時 2012/9/22 14:55
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気になり調べてみましたら
今では、山頂に笹が生えているらしいです。

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投稿者:マルコ 投稿日時 2013/7/29 23:31
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おそらく「通りすがり」さんのサイトかと思われるサイトに「笹なし山」詳細が書いてありました!!
マルコの書き込みやまんが日本昔ばなしデータベース情報が生かされていると知って、嬉しい限りです!!

以下、http://sodateru-amaki.blog.so-net.ne.jp/2012-11-01より引用

多津美中学校区「青少年を育てる会」 天城小支部
リレーメッセージ第29回 「笹無山」 [企画]

”山”とはいっても、実際は”丘”のようなもので、
私が中学生のときは、毎日「笹無山」の前を歩いて通学していました。
現在となっては、伝説として残されている「佐々木が憎けりゃ、笹まで憎い・・・」
といった怨念は微塵も感じられません。

実は、市原悦子さん・常田富士男さんの絶妙な語り口で有名となった
TV「まんが日本昔ばなし」の第1314回(平成4年2月15日)で、
この伝説「笹無山」はアニメとなって放送されています。
個人(紅子さん)のサイトではありますが、充実したデ-タベースですので、
参考にしてください↓
ttp://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=1314

『平家物語』(巻第十の一四「藤戸」)

源氏 `安からぬ事なり `いかがせん `といふ処に近江国の住人佐々木三郎守綱二十五日の夜に入りて浦の男を一人語らひ直垂小袖大口白鞘巻などを取らせ賺し仰せて `この海に馬にて渡しぬべき所やある `と問ひければ男申しけるは `浦の者共幾らも候へども案内知つたるは稀に候ふ `知らぬ者こそ多う候へ `この男は案内よく知つて候ふ `たとへば川の瀬のやうなる所の候ふが月頭には東に候ふ月の末には西に候ふ `件の瀬のあはひ海の面十町ばかりも候ふらん `これは容易う御馬などにて渡させ候ひなんず `と申しければ佐々木 `いざさらば渡いてみん `とてかの男と二人紛れ出でて裸になり件の川の瀬のやうなる所を渡つて見るにげにもいたう深うはなかりけり `膝腰肩に立つ所もあり鬢の濡るる所もあり `深き所を泳いで浅き所に泳ぎ着く `男申しけるは `これより南は北よりは遥かに浅う候ふ `敵矢先を揃へて待ち参らせ候ふ処に裸にてはいかにも叶はせ給ひ候ふまじ `ただこれより帰らせ給へ `と云ひければ佐々木 `げにも `とて帰りけるが `下臈は何処ともなき者にてまた人にも語らはれて案内もぞ教へんずらん `我ばかりこそ知らめ `とてかの男を刺し殺し首掻き切つてぞ捨ててける ・・・

『平家物語』の後日談を基に、後に世阿弥の作ともいわれる謡曲「藤戸」では、
殺された男の母を登場させ、いつの時代も変わることのない我が子を思う母の心を、
また戦の陰で罪も無く死んでいった男の哀れさを描き出しています。
しかし、「藤戸」の最大のテーマは、”許し”ではないでしょうか。
恨みで悪に化身しながらも、弔われてやがて静かに死を受け入れ、盛綱を許す

ありがたいことに
「笹無山」は地域の有志の方により、定期的に草刈り等が行われており、
「笹”無”山」が維持されています。


伝承つながりで言うと、
殺された男の遺体が留まったとされる「浮州岩」が
京都 醍醐寺 三宝院にある天下の名石「藤戸石」(中段のあたり)
となっている経緯については、こちら↓ を参考にしてください。
ttp://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mukasikatari/071120.html

以上、まったく歴史の素人ということで、誤り等がありましたら、ご容赦ください。
しかし、これだけの歴史が残っている地域は、そう多くありません。
青少年を育てる会では「ふれあいウォークラリー大会」等を通じて、
みなさんとともに郷土の歴史や地理を楽しく学習していきたいと考えています。
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投稿者:マルコ 投稿日時 2013/7/29 23:33
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http://www8.tok2.com/home2/ei0120/run/06/04/22.htm
このサイトには写真付きで笹なし山を見ることができます!!
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投稿者:マルコ 投稿日時 2013/7/29 23:37
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岡山在住の人からの情報。
心霊スポット 藤戸合戦笹無山

藤戸合戦で渡海先陣の偉効をたてた武将のかげで、名もない老母の嘆きをこの小山は秘めている。
船のない源氏は攻めあぐね、対岸の平氏の陣をみつめるのみであった。
佐々木盛綱は浜で思案していると、瀬戸の海を自分の庭のように熟知している浦の男にであった。
彼は老いた母と二人で暮らしていた。男は盛綱の求めに応じ、一条の浅瀬があることを教えた。
同行してくれれば褒美をとらすとの盛綱のことばを信じ、海中に入り目印の笹をたてながら先にたって案内した。
しかし彼は再び帰ってはこなかった。彼の口から浅瀬を他の武将に語られるのを恐れた盛綱は、無慈悲にも人知れず斬り捨て海中に沈めたのである。
このことを知った老母は半狂乱となり、佐々木と聞けば笹まで憎いと笹をむしり取り、恩を仇で返した盛綱の残酷なしうちをのろった。
老母の怨念が宿ったのか後の世まで、この小山には笹が繁ることはなかったという。

昔はこの山へ近ずくと祟られるとよく言われたものです、昔は笹も本当に生えていませんでした。
最近では祟り伝説も聞かなく成りました・・・長い時が過ぎて恨みも薄れていったのでしょうか・・?以前は祟り山と恐れられ人が近ずかなかったのですが、時の流れでその様な語り愚さも殆ど無くなりました。実際心霊スポットと言うよりも神秘漂う場所と言った方が良いかもしれません。
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投稿者:マルコ 投稿日時 2013/7/29 23:42
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藤戸の戦い

藤戸の戦い(ふじとのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/元暦元年12月7日(ユリウス暦:1185年1月10日)[1]に備前国児島の藤戸と呼ばれる海峡(現在の岡山県倉敷市藤戸町)で源範頼率いる平氏追討軍と、平家の平行盛軍の間で行われた戦い。治承・寿永の乱における戦いの一つ。藤戸合戦、児島合戦とも言う。

経過
寿永3年2月7日(1184年3月20日)の一ノ谷の戦いで敗れた平氏は西へ逃れた。平氏は瀬戸内方面を経済基盤としており、備前・備中などの豪族も大半が平氏家人であり、瀬戸内海の制海権を握っていた。

寿永3年/元暦元年[1]9月1日 (旧暦)(1184年10月7日)、源範頼率いる平氏追討軍は京を出発して西国へ向かった。海上戦に長けた平氏軍に対し、水軍を持たない追討軍はその確保が課題であった。瀬戸内海の武士団を味方に付けるべく、鎌倉の頼朝は9月19日に平氏から離反したと思われる讃岐国の家人に対して、西国伊予国の武士橘公業に従い、平家討伐のため鎮西に向かうことを命じている。また武蔵国の御家人豊島有経が紀伊国の守護に任じられ、兵士や兵糧の調達にあたった。また梶原景時は10月に淡路国で水軍の調査を行い、石見国の有力武士益田兼高を源氏方に付けるなど軍事・政治両面での工作活動を行っている。

しかし源氏軍の水軍確保は進まず、範頼は10月に安芸国まで軍勢を進出させたが、屋島から兵船2000艘を率いて来た平行盛によって兵站を絶たれ、11月中旬になると範頼から鎌倉の頼朝へ兵糧の欠乏と東国武士たちの士気の低下を訴える手紙が次々送られている。

現在の藤戸周辺は干拓により陸地となっているが合戦の当時は海に島が点在している状態であった。平行盛は500余騎の兵を率いて備前児島(現在の児島半島)の篝地蔵(かがりじぞう、倉敷市粒江)に城郭を構えた。九州上陸を目指す源氏軍にとって、この山陽道の平氏拠点の攻略は必須課題であり、追討軍の佐々木盛綱が城郭を攻め落とすべく幅約500mの海峡を挟んだ本土側の藤戸(現在の倉敷市有城付近)に向かう。『吾妻鏡』によると、波濤が激しく船もないため、渡るのが難しく盛綱らが浜辺に轡を止めていたところ、行盛がしきりに挑発した。盛綱は武勇を奮い立たせ、馬に乗ったまま郎従6騎を率いて藤戸の海路三丁余りを押し渡り、向こう岸に辿り着いて行盛を追い落としたという。平氏軍は敗走し、讃岐国屋島へと逃れた。

この合戦は『平家物語』「藤戸合戦」の段で9月の事として書かれ、盛綱の活躍も吾妻鏡と一致しているが、盛綱が先陣の功を狙って浦の男に地形を尋ね、浅瀬を見つけた後で口封じの為に男を殺してしまう場面は、覚一本など語り本系『平家物語』のみに見られ、延慶本や『源平盛衰記』にはない話である
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投稿者:マルコ 投稿日時 2013/7/29 23:43
笹無山
藤戸合戦で渡海先陣の偉効をたてた武将のかげで、名もない老母の嘆きをこの小山は秘めている。
船のない源氏は攻めあぐね、対岸の平氏の陣をみつめるのみであった。
佐々木盛綱は浜で思案していると、瀬戸の海を自分の庭のように熟知している浦の男にであった。
彼は老いた母と二人で暮らしていた。男は盛綱の求めに応じ、一条の浅瀬があることを教えた。
同行してくれれば褒美をとらすとの盛綱のことばを信じ、海中に入り目印の笹をたてながら先にたって案内した。
しかし彼は再び帰ってはこなかった。彼の口から浅瀬を他の武将に語られるのを恐れた盛綱は、無慈悲にも人知れず斬り捨て海中に沈めたのである。
このことを知った老母は半狂乱となり、佐々木と聞けば笹まで憎いと笹をむしり取り、恩を仇で返した盛綱の残酷なしうちをのろった。
老母の怨念が宿ったのか後の世まで、この小山には笹が繁ることはなかったという。
               藤戸史跡保存会(現地案内板より)
投票数:48 平均点:10.00

投稿者:KK 投稿日時 2013/7/31 22:31
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久しぶりにきました。なんか・・・全体的に変わってますね。
それと、マルコさんはまさか岡山県民ですか?
実は自分もそうなんです。倉敷市で「つらしくらし」の場所から30分ぐらいのところです
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投稿者:マルコ 投稿日時 2013/8/1 22:47
KKさんでいいのでしょうか?
マルコの書き込みを読んでくださってありがとうございます!!「笹無山」のお話は、平家物語と能の本を読んでいて偶然一致している話があることに気が付いて、それで、興味が出てきて色々と知りたくなってきたのです!!それで、調べたことをこのサイトに投稿しているというわけです・・・。

「つらしくらし」の舞台の近くに住んでいるそうですね?まん日の舞台の近くに住んでいるなんて・・・いいですね!!羨ましいです!!
実を言うと、マルコは岡山県民ではありません。でも、岡山のまん日にはとても興味があるんです。
岡山って良いお話多いですよね!「きつねがわらった」一番好きです!!「杓島」行ったことはありませんがどんな島見てみたいですし、「人形峠」はたしか・・・名探偵コナンに出てくるほど有名ですよね!!

実を言うと、マルコは岡山県民でないので、岡山の事にはあまり詳しくはないのです。ど素人なんです・・・。でも、岡山のまん日にはとても興味があるんです!!もし、何か質問したいことがあったら質問してもいいですか?岡山に住んでいるKKさんに岡山の事、いろいろ教えてもらいたいのです!!教えてください!!お願いします!!
返事は強制していませんし、嫌だったら嫌って言ってくれれば、それ以上は何も言いません!!
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投稿者:KK 投稿日時 2013/8/3 14:50
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藤戸という場所に、盛綱橋といって佐々木盛綱の橋がかかっているんです。その橋を調べてみたら、このまん昔の「笹無山」と一致したので興味を持ちました。県内なので、行く機会があった時見てみました。山とは言えないですね。笹も生えてますし。
「つらしくらし」の場所は現在、建物ができています。
「杓島」は、家からかなり近いのですが専用の船などがなければ行けれないと思います。
「きつねがわらった」は、美作の方で遠いのでとても行けれません。でも、機械があれば行ってみたいです。
「人形峠」は、小学校の頃地図帳で見て、不思議な名前なので調べてみたら、まん昔の話が出てきたんです。それから、まん昔を見るようになりました。

マルコさん、なんでも聞いてください。岡山の事ならできる限り、力を尽くしたいと思います。
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投稿者:マルコ 投稿日時 2013/8/3 18:47
KKさんありがとうございます!!岡山の方に質問できるなんて・・・嬉しいし、心強いです!!

さっそく岡山についての質問してもいいですか?返事は強制していないので、いつでもOKです!!わからないなら、わからないって言ってくださいね。

それでは、質問しますね!!

岡山県では、吉備線だったかな?まんが日本昔ばなしの声優の常田富士男さんが岡山の昔ばなしを語ってくれる電車を期間限定で運行しているって聞いたんですが、KKさんは昔ばなし電車に乗ったことはあるんですか?
マルコは一度乗ってみたいと思っているのですが、栃木から岡山ってすごく離れているじゃないですか・・・乗る機会が全くないのです!!
もし、昔ばなし電車に乗ったことがあるのなら、どんな感じなのか、色々教えてください!!
投票数:48 平均点:10.00

投稿者:KK 投稿日時 2013/8/3 20:06
乗った事はありませんが、見た事ならありますよ。
外装は焦げ茶色?みたいな色です。
昔ばなしといっても、岡山の歴史ですね。
後楽園や岡山藩主の池田家や雪舟の伝説などです。
期待の答えられてないかもしれませんが、これが精一杯です。
逆に質問いいでしょうか?
栃木では「出流原弁天池」や「山伏とたんじゃく棒」、「さぎしょっぱらの狸」「鷺宮」「鬼怒沼の機織姫」など、自分の好きな話が多いのですが、この中の話で何か知ってる事があれば教えてください
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投稿者:マルコ 投稿日時 2013/8/4 19:13
「出流原弁天池」や「山伏とたんじゃく棒」「さぎしょっぱらの狸」「「鷺宮」「鬼怒沼の機織姫」が好きなのですね!!詳しい情報は、マルコが今まで書いた物を読んでください!!
今まで書いたものを読んでわからないところがあったら、質問してください!!

何か知っている情報とは豆知識とか場所とかでしょうか?何について知りたいのか、もうちょっとハッキリしてくれると質問に答えやすいのですが・・・。

「山伏とたんじゃく棒」は原作本を読んだのですがお話の場所が書かれていないのでわかりませんし、「さぎしょっぱらの狸」はこの話の原作本の作者の日向野徳久さんが栃木県箱森にお住いだそうです。でも、相当昔の情報なので、日向野さんが今もご存命なのかは、怪しいところです・・・。
投票数:51 平均点:10.00

投稿者:KK 投稿日時 2013/8/5 19:41
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今まで書いたもの・・・ですか。
どこにありますか?
その話についての情報はおもに場所が知りたいですね。
行く機会があれば、立ち寄ってみたいと思ってるんです
投票数:51 平均点:10.00

投稿者:マルコ 投稿日時 2013/8/18 1:05
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このサイトの中の栃木県のお話のところに書き込みしたんですけど・・・。
分かりにくかったですか?ごめんなさい!!

栃木のまん日の舞台に行ってみたいっていうのは、嬉しいですね!!

マルコもいろいろ忙しいのですが、できる限り、お答えしましょう!!

ところで、KKさんって大学生ですか?変な質問してすいません。
KKさんの書き込みを読んでいて、もしかして、大学生?って思ったものですから・・・。
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