とうせん坊 についてのコメント&レビュー投稿
昔、一本足の高下駄を履き、松明を持ったとうせん坊という大男が村を暴れ回っていた。 彼が物心付いた時すでに両親は無く、北上川上流の小さな寺に預けられていたが、大柄で頭が足...…全文を見る

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投稿者:アーリアジャスール 投稿日時 2017/8/11 21:21
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たしかに周りの人間たちの態度がとうせん坊の人生を狂わせたと思います。それにしても小林治先生の作品は怖いやつが多いな。十六人谷とか加茂湖の主とかみちびき地蔵や白馬岳の魔神とか。
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2018/2/17 8:11
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この世で恐ろしいものは人間であるということだまさに狂気の物語。非常に嘆かわしいことです
投票数:44 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2018/6/3 6:52
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小学6年の授業のときに見せるべきですね。それも何回も。
人間の本性がわかるだろ
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2018/7/7 14:17
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作者の何を伝えたかったかが、難解で理解できない。
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投稿者:はなはな 投稿日時 2018/7/8 9:07
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ひたすら怖くて悲しくてトラウマに。
何で善人が一人も登場しないのかな。
和尚さんだって、小さい時から育てたなら、
投げ出さないで欲しかったな。特に悪いことばかりしなかったなら。
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投稿者:はなののののはな 投稿日時 2018/8/5 1:38
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あらすじだけ読む限り、とうせんぼうが可愛そうです。
でも、慈愛に満ちた観音様は、どうしてとうせんぼうに力を授けただろう。苦しむためだけではなかったはず。きっと本当は、あなたはみんなを幸せに出来るよという意図があったはずと思うと、余計にかなしい。
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2018/8/29 8:38
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弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者を叩く
人間の抱える業の話
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2018/9/1 19:44
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自分の中にいるとうせん坊を知った気がした。いいこともわるいことも程度を超えると社会から疎まれるのかなあ。
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2018/10/10 20:24
無差別殺人犯の何割かには、こういう原因があると思う。
投票数:51 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2018/10/13 11:03
私もそう思って見てました
投票数:50 平均点:10.00

投稿者:ムー 投稿日時 2018/12/26 14:15
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天使にも似た悪魔ほど、人を迷わすものはない。 ーシェイクスピアー
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投稿者:街の人 投稿日時 2018/12/29 22:52
子供の時に見ましたがショッキングな話でした。
今見ても怖いですが、非常に考えさせられる話です。
秀作です。
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2019/1/4 7:22
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「物理的な力や権力は、それを使うに見合った賢さや判断力がないと本人ですら不幸になる」って教訓ですかね…。
いじめは悪いことだというのは変わらないけど、それを見返すためにやったことや悪気なくやったことがことごとく暴力になってしまって、最悪の結果になってしまっている。

きついお話だけど、自分に必要な力はなにかを知らず、物理的な腕力や権力を得ても制御できないことが一番な不幸をよんでしまうのかも。
多分観音様にお願いするときも、「腕力をください」ではなく、「賢さをください」なら、また違った終わり方になったかもしれないね。

今現代でも、生活に困っているからといって、お金のきちんとした使い方を知らない人に生活保護を支給してもギャンブルや最悪変な薬に手を染めてしまうし…。

最後のシーンでも、ここでは優しい人に囲まれてお酒で酔って幸せな気分のまま寝込んだとなってますが…
話によっては酔っ払って暴れた結果、親切に宴会に混ぜてくれた人たちを死なせたりと、親切にした人たちから見たら、恩を仇で返されたようになってしまっているので…。

こう言っちゃなんですが、悲惨な殺人事件でも犯人が過去に辛いことがあり精神病患ってたり知的に障害があるからから無罪になるケースがあったりしますが…。
確かに加害者に事情があるとはいえ、被害者や当事者にしたら、判断力がなければなにをしてもいいのか!という恨みだけが残ります。
判断力がなくても、行動や腕力は人並み以上で制御できないからといって、仕方ないよねとはなりません。

自分で制御できない・きちんとした判断力がなければ、お金であれ権力であれ腕力であれ、身の丈にあった力をつけるのが良い。
もしくは、まずその力をコントロールする知恵をつけさせることが必要だという教訓でしょうか?
なんだか、考えさせられます。
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投稿者:ファイアーバード 投稿日時 2019/1/15 19:24
冷たい言い方になってしまうが、とうせん坊が"役に立つ"人間になれたらよかったのかもしれない。
せっかく観音様がくれた力も、それを活かす知恵がなければどうしようもない。
投票数:51 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2019/1/21 10:46
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見終わった後、ショックで放心状態でした。

何を伝えたかったのか、とても考えさせられました。温かい人が、誰も居なかった。
子を持つ母親目線の私から見るとうせん坊は、母親の温もりがいかに、大事か、、、悲しく抱きしめてあげたい気持ちになりました。
親に見捨てられたトラウマ、人を信じられる状況に遭遇できない、発達障害の悪い例だと思いました。自分の発達がアンバランスな為、力をコントロールできない。

結果、悪者扱いされ、処刑される。。。

母親の愛情と、導いてくれる周囲の理解者が必要だと、言うことを、とても考えさせられるお話でした。。。
投票数:51 平均点:10.00

投稿者:ゲスト 投稿日時 2019/6/13 17:28
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子供の頃に見た覚えがあります。
人殺し云々は覚えてないけど、鍋にクソするとかなんて陰湿なんだと言う事で覚えてます。
まりを食う理由がさっぱりわからないけど。
投票数:52 平均点:10.00

投稿者:Perenna 投稿日時 2019/7/2 21:58
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この昔話の出典と現地情報についてです。
アニメでは角川書店の「乱世に生きる(日本の民話08)」になっています。
ですが、1957年に出版された「岩手の民話」(未来社)にも同じ話が掲載されていますね。
「岩手の民話」の出典元は「吾妻むかし物語」と書かれています。
「吾妻むかし物語」は、昭和初期に出版された「南部叢書・第9冊」に収録されていました。(コマ番号12/348)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179288/6

とうせん坊の預けられていた寺は「稗貫の高松寺」と書かれています。
この寺は跡地は現在では、岩根神社(花巻市高松13-45)になっているらしいです。
以下のホームページでは、高松寺は真言宗醍醐派の寺で明治維新のさいに廃仏毀釈のため岩根神社になったと書かれています。
http://www.ihatov.cc/mount/03.html

地図を見ると、岩根神社の隣に高松観世音堂があります。
おそらく、とうせん坊が願掛けをしたのは、この高松観世音堂なのではないかと思われます。
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投稿者:ゲスト 投稿日時 2019/8/20 9:26
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日本昔ばなしにしては珍しく、北上から越前と言う離れた地域の物語です。
平泉寺白山神社は出てきたのでしょうか?
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投稿者:Perenna 投稿日時 2019/8/25 20:22
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この昔話のアニメの原作や出典について調べてみました。
まず「とうせん坊」という題の伝説については、江戸時代の元禄年間ごろに花巻に在住していた松井道圓が著した「吾妻むかし物語」が出典元になっています。
「稗貫の高松寺」にいた「宗元」という悪僧が、北陸の石動山に逃れていき「とうせん坊」を名乗ったと書かれています。
それよりも前の文献では、馬場信意が著した「西国盛衰記」があります。
現在、「通俗日本全史・第15巻」に収められており、宝永年間ごろの成立とみなされています。(コマ番号140/370)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770213

「寄木遊覧附號東尋坊大風之由来
昔し、能登の國石動山天平寺に、東尋坊と云ふ大悪僧あり、邪儀放逸にして、帰佛信法の心なく、我慢第一の法師なり」

おそらく「吾妻むかし話」を書いた松井道圓は、馬場信意の「西国盛衰記」の「東尋坊」の逸話を下敷きにして、岩手稗貫の「宗元」の伝説を結びつけたのではないかと思われます。
「とうせん坊」は「東尋坊」の東北なまりなのかもしれません。
また、昭和13年に出版された「北陸・高山線地方」(日本旅行協会)という旅行ガイドブックには、東尋坊について以下のように書かれています。(コマ番号8/28)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1120951/8

「昔平泉寺の僧房に東尋坊と云ふ強力無双の悪僧があつた。一山の信徒は之を憎み、一日三國海岸見物に事寄せて誘ひ出し、したゝか酒を飲ませて此の深淵に突き落として殺したところ、その後怨念によつて色々の怪異があつたので、此の名が生れたと云ふ。」

江戸時代の頃の東尋坊は、石動山と関係がありました。
しかしいつのころからか、平泉寺や雄島の大湊神社と関係ができてしまったらしいですね。
ちなみに、アニメで表現されている「一本足の高下駄」とか「鍋に糞をされた」というエピソードは、佐々木喜善の著した「聴聞草紙」に収録されている「島の坊」が元ネタになっているらしいです。

投票数:55 平均点:10.00

投稿者:つぶ 投稿日時 2019/8/27 9:14
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観音さまは何故、とつせん坊に力を授けたのでしょう?
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