この昔話は、昭和18年に出版された「炉辺夜話:東北の昔ばなし」にも掲載されていました。(コマ番号7/83)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1451358/7?tocOpened=1「生捕られた羅刹鬼
岩手の由来・岩に残る鬼の手形
今盛岡市の三割は大へん賑やかなところですが、むかし人里うすく昼でさへ暗い程樹が茂つてゐた松坂といふ坂道がありました。こゝに羅刹鬼(蝦夷であると言はれてゐます)と言ふ鬼が出て里人をさらつたり食つたりしてなやましてゐました。
だから里人は日が暮れると一歩も外へは出ないで、びくびくしながら家の中にかくれてゐました。
然し何時までもこうして居るわけにはいかないと言ふので里人はこつそり相談して鬼退治をすることに決めました。
そしてそれは神様のお力でなければうまく行かないと三石神社にお願ひすることになりました。代表者がからだを清め一心になつて三七日の祈願をしたのです。恰度満願の日でした。祈願をこめた甲斐があつてありがたや神様が鬼をしばつて出てお出になりました。それを見た里人はほつと胸をなでおろしました。神様はおごそかに鬼に申し渡しました。
「汝はもうこれから里人を苦しめないと言ふしるしにこの神の岩に手形を押せ、そうしたら汝をゆるしてつかはすぞ」と鬼は大きな手形を岩にのこしてどこかへ逃げてしまいました。これが岩手の名の起りだそうです。
また、その後は全く鬼が出なくなつて里人は安心することが出きました。そして里人はうれしさのあまり神様の前で一日中踊りまはつたと言ひます。この踊りがいまお盆によく見る「参差踊り」の始めだそうです。
(写真)今にのこる盛岡市北山東顕寺後庭の鬼が罪を詫びて岩に押したといふ手形」
アニメでは原始時代の話のように紹介されていましたが、「三七日の祈願」とか「羅刹鬼は蝦夷であると言われている」と書かれているので、仏教が伝来して以後の伝説のような気がします。
鬼の手形は現在の写真をみる限り、残念ながら風化して見分けがつかなくなってしまったようですね。
本に掲載されている昭和18年頃の写真を見ると、指が異様に長い鬼の手形がいくつかはっきりと写っています。