彼杵郡(そのぎぐん、そのきのこおり)は、かつて肥前国の中西部にあった郡である。
彼杵の郡名の由来は諸説あるが、「肥前国風土記」では景行天皇が土蜘蛛と称された現地の豪族から得た玉を賞してこの地を「具足玉国(そないたまのくに)」と命名したとの故事を記し、転訛して彼杵と称するようになったとしている。
郡衙は現在の大村市内に置かれていたと推定されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E6%9D%B5%E9%83%A1土蜘蛛について 景行代などの記録
『肥前国風土記』には、景行天皇が志式島(ししきしま 現在の平戸南部地域)に行幸した際(伝72年)、海の中に島があり、そこから煙が昇っているのを見て探らせてみると、小近島の方には大耳、大近島の方には垂耳という土蜘蛛が棲んでいるのがわかった。そこで両者を捕らえて殺そうとしたとき、大耳達は地面に額を下げて平伏し、「これからは天皇へ御贄を造り奉ります」と海産物を差し出して許しを請うたという記事がある。
具足王国(そなひだまのくに)
三色の真珠 風土記は、奈良時代に元明(げんめい)天皇が和銅(わどう)6年(713年)に全国に命じられてできた日本最初の地誌です。しかし、現存するのは、出雲(いずも)・播磨(はりま)・常陸(ひたち)・豊後(ぶんご)・肥前(ひぜん)の5カ国に過ぎません。
肥前国風土記に、景行(けいこう)天皇が『この国を具足玉国(そないだまのくに)《玉が多くそろっている国》と名付けよ』とおおされたといいます。今、彼杵郡(そのきのこおり)《現在の長崎市・西彼杵郡・大村市・東彼杵郡・佐世保市》の名前が大村湾の美しい真珠から名付けられた古代の話です。
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