返信する: 各話のコメント
二ツ道のおいはぎ についてのコメント&レビュー投稿
昔、馬頭街道が通る栃木県の山奥に「平野」という村がありました。 この村は自然が豊かで、みんな平和で幸せに暮らしていました。子ども達が小川でとった魚を、近くにいたキツネ...…全文を見る

題名:
ユーザ名
投稿本文

オプション


以下参照(以下のコメントに対して返信しようとしています)
二ツ道のおいはぎの平野,志鳥の窯元
投稿者: マルコ 投稿日時: 2014/2/15 9:03

二ツ道のおいはぎの舞台となった『平野』。平野焼、志鳥焼、という焼き物を焼く窯があるみたいですね。二つ道を調べてみて、わかったことを書き込みします。

県北7窯の歴史たどる 大田原で企画展 栃木より
2013.11.20 02:19
 ■黒羽藩御用「岡の台」など紹介

 大田原市黒羽地区など県北地域で焼成された江戸時代後期~大正時代の焼き物の歴史をたどる企画展「黒羽とその周辺地域のやきもの」が黒羽芭蕉の館(同市前田)で開かれている。12月8日まで。黒羽地区や周辺の7つの窯を紹介し、黒羽藩御用窯とされる「岡の台瀬戸焼」や短期間で閉じられた窯などの貴重な作品が並び、初公開作品も多い。

                   ◇

 近代陶芸を代表する板谷波山(はざん)(1872~1963年)の指導を受け黒羽の地で焼かれたという「かなめ焼」、現在の矢板市にあった「成田焼」など貴重な焼き物も展示している。

 江戸時代~大正時代、黒羽地区や周辺で開かれた7つの窯は、岡の台瀬戸焼、かなめ焼、成田焼、平野焼、志鳥焼、益子焼、小砂焼で、約200点を展示。

 岡の台瀬戸焼は文化年間(1804~18年)の頃、岡の台(現大田原市前田、同市黒羽田町)で焼かれていた。黒羽藩11代藩主、大関増業(ますなり)の肝煎りで始まったとされ、近世の下野国内では最も古い窯とされる。

 かなめ焼は岡の台瀬戸焼の伝統を受け継ぎ、明治39(1906)年に黒羽陶器株式会社が設立され、解散するまでの約20年間、現在の飯縄(いづな)山神社境内(同市前田)で焼成された。那須与一が源平合戦で扇の要(かなめ)を射抜いた故事にちなみ、「かなめ焼」と名付けられた。焼き物は薄くて耐火性に富み、茨城県出身の波山の指導を受けて芸術性の高い作品が作られたという。

 那須や塩原温泉などの観光地の土産品として人気を集め、大正時代には質の高さが評価され、皇室関係の御用品を調製したこともある。

 成田焼、平野焼は江戸時代に現在の矢板市で焼成。志鳥焼は幕末、現在の那須烏山市志鳥で開かれ、明治37年頃に窯が閉じられた。

 同館の新井敦史学芸員は「薬研(やげん)、湯たんぽ、手焙(てあぶ)りなど今では目にできない焼き物も多い。じっくり鑑賞してもらいたい」と話す。問い合わせは同館(電)0287・54・4151。

現地関連情報
出典本調査 facebook
Twitter

オンライン状況

46 人のユーザが現在オンラインです。 (5 人のユーザが レビュー&コメント投稿 を参照しています。)

新着コメント(コメント24件)