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真菰が池のおしどり についてのコメント&レビュー投稿
昔、甲斐国の天目山(てんもくざん)の戦いから落ち延びた武田軍の武士桜井重久(さくらいしげひさ)は、敵地から逃れ信州富県(とみがた)の貝沼に住み付くと名前も貝沼重久と改め孤独な暮...…全文を見る

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真菰が池のおしどりの時代は本能寺の変ごろか?
投稿者: マルコ 投稿日時: 2014/2/7 9:41

このお話に出てくる「天目山の戦い」はどのような戦いなのか気になって教科書で調べて見ました。

そうしたら、かの有名な武田氏の最後の戦いだそうで、天目山の戦いは田野の戦いともよばれているそうです。

そうすると、このお話があったのは戦国時代の天正10年(1582年)ごろかそれより後の時代と言うことになります。

1582年に起こった事としては織田信長が本能寺の変で明智光秀に殺されてしまいます。

以下、田野の戦いより引用。

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/nagae/tanonotatakai.html

田野の戦い
天正10年(1582年)1月25日、信玄の娘を娶った木曽義昌が織田信長に寝返る。その木曽義昌を討つべく2月2日に武田勝頼が出陣。これに対し義昌は信長に援軍を要請した。これを勝頼打倒の絶好の機会と考えた織田信長は、2月12日織田信忠を救援に向かわせ、信忠が伊那口、徳川家康が駿河口、北条氏政が関東口、金森長近が飛騨口から甲州をめざした。2月16日の鳥居峠の戦いでは、義昌軍が武田軍を破っている。

同2月29日には、穴山梅雪が徳川家康に寝返る。3月2日には織田信忠によって高遠城が落とされる。新府城を守る兵を充分集めることがでない勝頼は、真田昌幸の岩櫃城への誘いを断って、同3月3日家臣の小山田信茂の大月にある岩殿城を目指し、新府城に火をかけて落ちてゆくが、9日に小山田信茂の裏切りにあい、織田の滝川一益軍に攻められ、3月11日田野で自害する。信玄が死んで9年、長篠の合戦から7年で由緒のある武田氏は滅亡する。

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