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あやめ塚 についてのコメント&レビュー投稿
昔、三重の菰野の辺りにおかしな夫婦がいた。亭主は、一日中あやめの花ばかり眺めて、まるで女みたいな性格、一方の女房は力持ちで男勝りな性格だった。ある日、亭主はあまりにも女...…全文を見る

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菰野の民話 あやめ塚
投稿者: マルコ 投稿日時: 2013/8/6 14:55

あやめ塚は、吉沢集落、源正寺の南、黒田みちの道路のすぐ北側に あります。塚のそばには小川が流れ、周りには四季色とりどりの草花が咲きますが、今は草もみじの中にひっそりと小さな碑が立ち、石には「あや め塚」と刻まれています。このあやめ塚については、吉沢集落に、次のような面白い伝説が語りつがれています。昔、吉沢あやめは、妻を吉沢において単身京へ役者の修業に出た。
あやめは、修業のかいがあって上方女形(おやま)、俳優の第一人者になることができた。ある時あやめは得意の妙齢の美しい女形の姿 に身をやつし、郷里の吉沢へ帰り、妻のもとへ日中にたずねた。ところが、妻は、夫のあやめの姿とはつゆ知らず、非常にしっとし て応待し、すげなくあしらったので、あやめは心の中でほほえみ、そしていったん別れをつげ、その日の夕方、真のあやめの姿でふたたび 妻のところへ帰った。すると、昼間尋ねて来た女の人のことで夫婦ゲンカとなった」。 あやめは、白昼自分の妻でさえ真の夫と見分けのつかない程、女形名人であったと伝えられています。

以上が吉沢集落に昔から伝わる話ですが、この話について、吉沢集 落の旧家、野呂雄三氏の家に残されている古文書には、およそ次のようにしるされています。 「本村の中心より己(南々東)の方向に当る所に、広さ一坪の一基の石碑が建っている。これは本村の久保幸助という者が建てたものこれ は昔、あやめと名のる歌舞伎俳優の塚なり。本村で死亡し、ここにほおむる。この話は、古老の言い伝えによるものなり」とあり、碑を建 てたという吉沢の久保幸助は吉沢の村役人もつとめたことがあり、当時、寺小屋を開き書も上手な人でした。

(菰野の文化財リストより)
http://www.town.komono.mie.jp/library/gallery02.html#list044

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