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二人の甚五郎 についてのコメント&レビュー投稿
昔、飛騨の山奥に住んでいた佐吉という彫り物の上手な男が、腕試しの旅に出かけました。 旅の途中に泊まった宿屋の主人は、佐吉の腕前にたいへん感心して、彫り物の名人である左甚...…全文を見る

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以下参照(以下のコメントに対して返信しようとしています)
栃木にある「 二人の甚五郎」の舞台、日光東照宮について・・・。
投稿者: マルコ 投稿日時: 2013/4/6 20:23

 戦国時代に生まれ、長い戦乱の世を生き抜いて天下統一を果たした徳川家康-とくがわいえやす-公は慶長-けいちょう-8(1603)年、征夷大将軍-せいいたいしょうぐん-に任ぜられて江戸に徳川幕府を開く。秀忠-ひでただ-公に2代将軍の座を譲ってからも大御所-おおごしょ-として天下ににらみをきかし、自分の死後について重要な遺言を残した。「遺体は久能山-くのうざん-(静岡)におさめ、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請-かんじょう-し、神としてまつること。そして、八州の鎮守-ちんじゅ-となろう」
 元和-げんな-2(1616)年4月17日、家康公は駿府-すんぷ-(静岡)で75歳の生涯を閉じる。翌年、日光に社殿が造営され、朝廷から東照大権現-とうしょうだいごんげん-の神号が贈られた。遺言どおり、神としてまつられたのである。
 家康公が目指した「八州の鎮守」とは、現代風にいえば「日本全土の平和の守り神」である。日光は江戸のほぼ真北にあたる。家康公は、不動の北極星の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたのである。
 家康公が望んだ「小さな堂」は、やがて家康公を敬愛する3代将軍家光公によって、いま見るような絢爛豪華-けんらんごうか-な「平和のシンボル」に生まれ変わる。現存する建物のほとんどは、「寛永の大造替-かんえいのだいぞうたい-」で建て替えられたものだ。造替の総奉行・秋元但馬守-あきもとたじまのかみ-が幕府に提出した収支報告書『日光山東照大権現様御造営御目録』(通称『御造営帳』)によると、総工費は金56万8000両、銀100貫匁-かんもんめ-、米1000石。今の400億円に相当する。使った材木が14万本、工期は1年5か月、延ベ454万人が携わった。35棟を建て替え・新築した大工事は寛永-かんえい-13(1636)年に完成して今に至る。

以前、東照宮の宮司さんによる東照宮観光ツアーに参加したことがあるのですが、このツアーは結構面白いですよ!!小学校の遠足なんかで何度も東照宮を訪れているマルコですが、このツアーはオススメです!!

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