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鬼のつめ についてのコメント&レビュー投稿
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「鬼のつめ」の舞台・円通寺に行ってきました!!伝説の「あけず箱」とは何ぞや?
投稿者: マルコ 投稿日時: 2012/12/16 14:49

今回、マルコは『しもつけの伝説』から『鬼のつめ』の舞台は真岡の『円通寺』だという情報を仕入れてきたので、『円通寺』に行ってきました!!
(所在地〒321-4106栃木県芳賀郡益子町大沢1770 )

<円通寺の歴史>
円通寺は、大沢山虎渓院と号する、浄土宗名越派の寺院です。
1394年(応永元年)良栄上人が芳賀郡大平郷舟橋(現益子町大平)に、一宇を結んで虎渓院と号したのが始まりとの事です。良栄上人は、1347年(貞和3年)に磐城国磐前郡小川村(福島県いわき市)に生まれ、鎌倉名越の善導寺で名越派四祖の聖観に師事し、奥州関東諸国を伝道の後に下野に至ったものである。

虎渓院は舟橋談所とも呼ばれ、創建当時から学問所の性格も持っていました。
多くの門人や学徒が集まりました。
その後、良栄上人は、大沢の領主大沢八左衛門尉の帰依を受け、
山林等の寄進を受けたため、現在地に伽藍を建設して移転しました。
良栄上人は、ここで門人や学徒に講義を行うとともに多くの書物を著しました。
円通寺境内に文庫(図書館)を設け、「大沢文庫」と呼ばれました。

1541年(天文10年)火災によって、表門を除いて焼失しましたが、
10代目の住職良迦上人が再建し、中興の祖と呼ばれています。
円通寺は隆盛を極め、1574年(天正2年)正親町天皇から綸旨を受け、
勅願寺(天皇のための祈願を行う寺)となりました。
その後、寺は明和年間と1872年(明治5年)に火災に遭いますが、
表門と一切経塔は焼失を免れて今に至っています。

【表門と一切経塔の概要】
表門は、1402年(応永9年)頃に建立されたと推定されていて、
国の重要文化財に指定されています。
唐様の四脚門で、切妻造り屋根は茅葺でしたが、現在は銅板葺き、主柱と控柱は丸柱になっています。装飾の手法は室町時代の特徴をよく表しています。

華美な装飾が無くって、質素で落ち着いた門でしたよ。

一切経塔は、1816年(文化6年)に再建されたもので、
3間四方の重層、屋根は頂部に露盤と宝珠をのせた宝形造りです。
下層の屋根の反りと上層との釣り合いが良く、
下層には火灯窓を上層には丸窓を設けています。
下層は主に和様、上層は唐様にした建物で、江戸時代後期の変化に富んだ建築です。

この建物も華美な装飾が無く、質素で美しい建物でした。

このお寺には、昔ばなしで語られていた物があるそうです・・・。
強欲婆さんの御棺に残されていたという血のついた鬼の生つめ「鬼のつめ」と強欲婆さんの葬式のシーンで黒雲の中から雷が御棺の上に落ちたじゃないですか?
その時、和尚さんの着ていた着物の袖のところがだいぶ焼け焦げたそうで・・・その着物が『円通寺』にある『あけず箱』の中に納められていて今現在も残っているそうです・・・。

・・・御棺を運んでいた村人も雷でやられたんじゃないですか?だってアニメのシーンを見ると、御棺と和尚さんとの距離がだいぶ離れているのに、着物が焼け焦げたのですから。

この『あけずの箱』はその名の通り『あけずの箱』で、今まで『円通寺』に長く伝わっているそうですが、まったく開けた事が無いそうです。円通寺本堂の左に宝物庫があって
その中に入っているようです。
話を聞かせて頂いた、ハンサムで優しくって声の良く通るお寺のおじい様によると「今まで長い事、お寺に居るけど、『あけずの箱』を開けたことはない」と話していました。
(80歳ぐらいのおじい様だったので・・・ずいぶん長い間、箱を開けた事が無いんだなぁ・・・と思いました。たぶん、このお方はこのお寺の元・御住職様ではないかと思いました。)

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